2012年05月19日
ローマ(にいる気分)で乾杯

昨日(18日)、妹が私の誕生日を那覇市松尾のイタリアンで祝ってくれた。「ha-na」という名前で、以前から妹が「連れていきたい」と言っていた彼女のお気に入りの場所。いとこのSちゃんも来てくれて、県産素材を使ったイタリアンを食べながら、ナポリ、ローマにいる気分!?
中身をトマト味であえたものや、厚切りベーコンのカルボナーラ、えびとしいたけのオリーブオイル煮など、個性的なメニューで注文した白ワインとよく合った。料理の写真もとったけど、ぶれていたのでアップはしません。

デザートは、安里の「さいおんスクエア」にまだ行ったことがないというSちゃんのために、そこにいく。歩いて15分くらい。夜の国際通りは観光客でいっぱい。そんなに暑い夜でもなかったので、歩いていて気持ちよかった。タルト専門店に入ったのだが、メニューを見ると「スムージー」があったので、3人ともそれに心を奪われ、それぞれミックスベリー(私)、マンゴー(妹)、濃厚マンゴー(S)を注文した。けっこう、ボリュームがあったね。お腹いっぱいになった。

上の写真はSちゃんからのプレゼント。タオル、ガーゼのハンドタオル、エッフェル塔の絵が入ったエコバック。彼女とは以前、ベトナムへ旅行し、その「買い物上手」に妹と私は驚いたのだが、今回も素敵なものを選んでくれていた。7月誕生日のSちゃん、どんなものをあげようかしら。考えるのは楽しい。とにかく、こんなにかわいいグッズありがとう。妹にもごちそうさま、ありがとう。
2012年05月15日
沖縄は今日も雨だった

1972年5月15日も雨だった。小学校3年生だった私は、学校から何かもらって午前中で家に帰ってきた記憶がある。今日、職場でお昼を食べながら、40年前の復帰の日の話をしたら、
4つ上の同僚が、「先生が、ほんとはこんな風に日本に復帰はしたくなかったんです、と言ったのを覚えてるワ」と当時を思い出していた。彼女は中学1年生だった。私とUさん(一緒に食事をしていた)は小学校低学年で「雨が降っていた」ということを鮮明に覚えている。今日も雨でしたね。(4つ違うだけで、復帰の日の印象も違う。幼い時の4歳って大きいなあ)
今年に入ってNHKで、復帰から40年間の沖縄に関するフィルムを週1回放送しているが、それでとても印象に残ったのは
屋良朝苗の言葉。「復帰の内容を見ると、必ずしも私どもの切なる願望が入れらたとは言えないことも事実である」は、胸にズーンと来た。目出度い式典で、こういうことを言わざるとえなかった、あるいはどうしても言いたかった屋良さんのことを思うと、胸が締め付けられる。
ところで、今日は、フランス新大統領(フランソワ・オランド)が就任した。凱旋門の前での式典をフランスのニュースで見たけど、パリも雨でした。
復帰40年の沖縄、フランスは17年ぶりの政権交代、どちらも問題が山積だが、希望ある明日を期待する。
2012年05月14日
エッフェル塔のろうそくで祝う誕生日

「サプラ~イズ」と、アメリカドラマ「モダンファミリー」のグロリアばりの巻き舌で妹が、ケーキを運んできてくれた。エッフェル塔のろうそくにびっくり。今日(14日)は私の誕生日。何歳かって?ヒント、プレ半世紀。
家の近くのジョーギ(新都心にあります)というけっこうおしゃれなケーキ屋(ケーキ屋はみなおしゃれか)からだ。甘さは抑え気味だったけど、濃厚な味。フランスのケーキを思いだした。こういうのにはうんと濃いコーヒーが合う。

デンマークで買った「ロイヤル・コペンハーゲン」(ロイコペ)のコーヒーカップを久しぶりに使った。誕生日だもんね。
今日はささやかなパーティだったけど、妹がまた、今週末にいとこも呼んでおいしいレストランで祝ってくれるそうです。
誕生日に毎年、誓う言葉。「充実した毎日を送りたい」。
2012年05月04日
ブーケもらった結婚式

5月2日、ユーミンバー「観覧車」を経営するSさんとE君の結婚式が、新郎が働く安里のレストランであった。
E君はフランス人なので、そのご両親が沖縄に遊びに来ていて、彼らへの「サプライズ・パーティ」も兼ねていた。
私はご両親の「なんちゃって」通訳。
上の花は、結婚パーティの最後に「ブーケ・トス」で執念(?)でとった花束だ。Sさんに「私がもらっちゃった!」と言うと、「Kさんにもらってほしかったのよー」と言っていた。エヘヘ。

E君の写真はないけと、Sさんと義理のご両親。今はやりの年の差婚。Sさん素敵。フローランス(母親)は、女優のようにチャーミングで、参加した人たちが「かわいい」「きれい」と騒いでいた。パパもきりっとした男前。

Sさんは顔が広く、ローカル芸能人の方も何人かいた。ちょっと暗い写真ですが、新良幸人さんが「祝い節」「加那よ~」を歌った。人の結婚式で聴けるなんてラッキーだな。

Sさんのお友達が作ったケーキ。店に合わせて「観覧車」も。もう一つ、ハート型のケーキもあり、Sさんカップル(観覧車ケーキで)、フランスからのご両親も一緒に「ケーキカット」した。
どうぞ、末永くお幸せに。
2012年04月27日
TWIST AND SHOUT ジュリーとGSメンバー
先日亡くなった「ホタテマン」こと安岡力也の画像を探していたら、面白いのを見つけた。1960年代後期GS(グループサウンズ)ブームのスターたちが歌ったビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」だ。GSブームのころ私はまだものごころもつかない赤ん坊だった。
これは1990年代の後半かなあとも思ったけど、復活して活躍している現在のザ・タイガースの面々と比べると、15年ぐらいでこんな「じさま」になるはずがないと思い、おそらく80年代のバブリーな時期だと思う。岸辺一徳も森本太郎も、岸辺ジローも、ザ・ワイルド・ワンズの面々も若い、若い。服装も80年代だね。
特筆すべきはジュリーだなあ。やっぱりすごい。オーラが違うしなんと言っても歌がうまい!このブログ記事の見出しは「ジュリーと~」だが、これはこの動画のタイトルから取った。ほんとに彼はスターだ。歌い始めのカメラ目線に、もう「うっ」となってしまった。どうか気づいて。80年代の「光源氏」だよ(ドラマで主演していました)。
もうひとつ特筆すべきは、ジュリーとムッシュかまやつの他ににリードを取った3人、鈴木ヒロミツ、岡本信(ジャガーズのメンバーだった人。この人もイケメン)、そして力也(後半ジュリーが「リキヤ」と誘って一緒にがなる)がすでに鬼籍に入っていること。ヒロミツさん、すごく乗っている。岡本と力也は一緒にコーラス。オックスの真木ヒデトも楽しそう。みんなで今でいうエアギター(?)なんかして、練習したんだろうなあと思っちゃった。ほんとに聞いていてハッピーになる。これをアップしてくれた人ありがとう。もう一度書くけど、ジュリーのすごさを実感した動画でした。
2012年04月21日
今晩の夕飯は・・・

3日ほど前に、仕事でお世話になっているNさんとYちゃんと3人で、泊小学校通りにある魚を中心にした居酒屋に行った。そのとき注文したのが、上のサラダ(のようなもの)。サラダ菜に豆腐、トマト、その上からキムチ、そしてゴマだれソース。魚の店なので、魚介類も入っていたかもしれない。とにかく、キムチと豆腐とゴマだれの絶妙な組み合わせが忘れられなくて、今日(4月21日)も夕飯に作ってしまった。
「今日も」、というのは、実は昨日も作ったからです。妹と妹の友人のYちゃんを呼んでプチパーチー。そのときのパンと白ワインが残っていたので、フランスの歌番組を見ながら食べました。
フランスの番組は、ひかりTVで見ることのできる「TV5」。パトリック・セバスチャンというフランスの人気司会者が出ていました。出演者のおしゃべりは楽しかったけど歌はちょっとたいくつだったのですぐに海外ドラマへ。今日は、夜11時から今ハマっている「モダン・ファミリー」が楽しみ。アメリカで超人気のドラマらしく、いつも大笑い。日本でもNHKあたりでやればいいのに。
2012年04月15日
結婚式、100歳が歌う

☆いとこのRちゃんの結婚式が4月14日に那覇市内のホテルで行われました。これは招待状。すごくシック。私はいとこやおばたちと一緒に「銀」の席でした。

☆チャペルでの結婚式。入場のRちゃん。うっすらと目に涙。私もウルウル。

☆「今年、10月10日に100歳になります」と司会者から紹介された祖父。舞台の中央で「子供から頼まれたら断ることもできるけど、孫さんから(おじいさん、私の結婚式に歌ってください)と言われたら、これはやるしかないなあと練習しました」としっかりした口調であいさつ。最近、腰が弱くなり歩くのも大変そうですが、一人で「副業節」を歌いました。この歌のカラオケがなくて私と妹で「ビッグエコー」に行き、やっと見つけ録音。祖父は、他の出席者から「あやからせてください」と握手を何度も求められていました。

☆主役の2人。高校の同級生でお似合いです。でも、なんで若い人って「ピース」なんだろ。彼らの友人もみんなカメラを向けると「ピース」でした。まあ「平和」はいいことだ。

☆まるで芸能人の結婚式のようなカメラの嵐。みんな携帯を持っているので便利ですね。新郎新婦がハートマークにライトを点けるところです。
笑顔、涙いっぱいの結婚式でした。末永くお幸せに。
2012年04月07日
メリル、サッチャー

4日の水曜日に夕飯も食べ終え、散歩がてらに実家に歩いて行った。両親はちょうど食事をするところ。母が皿におかずを盛りつけながら、「サッチャーの映画見た?」と聞いてきた。私が返事をしないうちに、彼女はつづけて「Eちゃん(彼女の小学校からの友人、教師だった)が見てきたんだって。”どんなだったー?”って聞いたら、”あんた(のこと)さー”って言いよった」と彼女は話した。
それを聞いて、妹と私は「いったい、どんなところが母と(恐れ多くも大英帝国の初の女性宰相)サッチャーは似てるのかしら?いばやー?」と二人でこそこそしていると、母は「あんたさー」が気になるらしく、「見てこない」と私たちを誘った。
前振りが長くなったが、こういう経緯で(そうでなくても見る予定でしたが)、今年、大女優メリル・ストリープが久々にオスカーの主演女優賞を取った「サッチャー~鉄の女の涙」(フィリダ・ロイド監督)」を、那覇メインプレイスの映画館で見てきた。
ウィークディの夜10時近い開演だからか、観客は私と母を含めて(妹は行かなかった)10人足らず。
映画を見ながら、私は、そして多分母もいったいどこがサッチャーと母が似ているのだろうと考えた。
・父親を崇拝しているところ?(母は70を過ぎても、妻、母親という役割より今年100歳になる祖父の総領娘という部分が強い、と私は思う)、
・母も男社会の組合で頑張ってきたところ?(かつて、組合の女性部長(当時は婦人部長)をしてた彼女は、男はある年齢が来たら、チョンでも課長になれると言っていた)。
・社会をよくしようとしているところ?(自分がいいと思ったら、人にとうとうと説明するのはウチの母。信念を貫くというおおげさなものではないが、自分のいいものは絶対いいと信じる人。それがあなたも幸せにすると思う人)
・名前が似てる?(サッチャーは苗字だが、ウチの母がサチ子)、まあこれはおふざけ。
中のいいEちゃんは映画を見ながら、前向きなところに私の母との共通点を見出したのだろう。
そんなことをつらつら考えながら見ていたが、いつしかメリル・ストリープの演技に引かれていった。映画自体の組み立てはどうってことないと思うが、メリルの老いたサッチャーの歩き方、座り方、後ろ姿。それから首相時代の男性の閣僚を叱責するところなんて、素晴らしい。
どんな役でも「メリル・ストリープ」という存在を忘れさせるほどいつも役にのめり込む彼女だが、この映画は「渾身の力で演じている」というのもうなづける。これこそまさに主演女優賞だ。
映画が終わり、私も母ももう「あんたさー」のことは忘れ、二人とも「メリル・ストリープがすごかったねー」と感動しまくりでした。
2012年03月31日
お別れ、旅立ちのとき

久しぶりにアップします。
3月も終わり。4月からまさかの人事異動で、昼勤務になります。それなので、昼間バイトしていた翻訳も昨日で終わりました。4月からは、在宅で記事を送ることになりました。
写真は、一緒に仕事をしていたカワイイ仲間たちです。写真の中に一人、「先生か?」と思わせるおばちゃんがいるでしょう、それが私です。私は午後2時までの勤務で終わって帰ろうとしたら、翻訳チームのメンバーや個人的に仲良くしていた人たちが玄関まで来て見送ってくれました。そして、花、お菓子、寄せ書きなんてもらったの!!いやあ、驚き、感動しました。
ほんとうにありがとう。別れのとき、私はいつも「これからもよろしく」と言います。何かの縁でつながりができたので、これを大切にしたいですね。

そして、夜は、真夜中からの職場の「お別れ飲み会」です。私はロゼワイン(真ん中らへんに見えるかな)、家にあったお菓子、チーズ、かまぼこを持っていきました。
先にも書いたようにまさかの異動。経済的には苦しくなります。今まで夜の仕事だったので、昼間の時間を利用して、翻訳、フリーライターの仕事も掛け持ちしていましたが、これからは9時半~5時半になるので、掛け持ちは無理。しかし、そういう状態になっても「生活できる」ようにしていかなくてはいけない。
最近、私が印象に残った記事がありました。新聞の読者欄にかつての私の上司が投稿していたのですが、彼は新報が毎週1回出している子供新聞について「大人が読んでも勉強になる」と書いていました。ひとつの記事、TPPの例をあげ、「この交渉に参加すると日本の農業が壊滅的になる、とあるが、子供新聞では(それに負けない農家を作ることも大事です)とあります。これは大人の新聞では書きません」と結んでいました。もしかしたら、子供新聞のことを取り上げて、彼なりのTPPへの意見を言ったのかなあとも思ったのですが、これを読んで「なるほどな」と思いました。
環境や置かれた状況がこれまでと変われば、自分の生活にも影響を及ぼす。それではまずい、なんとか今の状況を維持しなければ、と必死になることもあるが、しかし、前述のように「負けない農家を作ることも大事」。つまり、どんな状況になっても生活していけるような強さを持っていなければ。長くなりましたが、このかつての上司の投稿を私は、この春、かみしめていました。

2012年03月20日
シナトラ、ニューヨーク・ニューヨーク
「ニューヨーカーになりたい!」とフランク・シナトラが歌う「ニューヨーク・ニューヨーク」は、私の「歌」だ。
パリにいるとき、「セ・マ・シャンソン」(これは私の歌よ)と言ってルームメートたちと「ニューヨーク、ニューヨーク♪」とほんとによく歌った。時々、「トウキョウ・トウキョウ」「パリ・パリ」になったり、イタリア人がいたら「ローマ・ローマ」「ヴェネチア・ヴェネチア」と歌ったり。要するに、世界の大都市の名前を入れ替えて歌ったりした。国際的な都市に住む人間になりたかったのさ。
しかし、「ニューヨーク・ニューヨーク」はほんとに楽しくなる歌だ。オリジナルはライザ・ミネリらしい。私はシナトラのビッグバンドでのゴージャスな感じが強かったので、ミネリ版のピアノで軽く始まるのを聴いたときは、これもまたおしゃれだなあと思った。マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ共演の映画「ニューヨーク・ニューヨーク」を見たとき、ミネリは後ろ向きが右手を横に伸ばしてこの歌を歌い始めた。それを見たとき、「いつかまねしてみよう」と思った。ま、それほど、私はこの歌が好き。
ある日、アメリカ人のルームメートのJが「今日、地下鉄に乗っていたら、ミュージシャンが乗ってきて、ニューヨーク・ニューヨークを歌ったの。それを聴いてK(私です)のことを思い出したよ」と言ったとき、とってもうれしかったね。「本場」アメリカ人もこの歌で「私」を思い出してくれた、それほど、私は「NY好き」ってみんなに言ってたんだねー、パリに居たのに。
そういう訳で、「ニューヨーク・ニューヨーク」は私の歌です。シナトラ版が好きかな。
2012年03月11日
「あの日」と「いま」

上の写真は、「3.11東日本大震災、3県4紙合同プロジェクト」と題して出した特別号外だ。4紙は福島民友、福島民報、河北新報、岩手日報。震災翌日のそれぞれの1面と、現在の町の様子、人などを紹介している。
私の「あの日」。1年前のブログにも書いたと思うが、もう1度、自分が何をしていたかを確認するために記してみる。
2011年、3月11日、久しぶりの昼勤、といっても午後からで、家から会社までの道のりを歩きながら、「号外なんてまさか出ないだろうな・・・、でもそんなことになったら・・・」と思った。この「号外」とは、2,3日前に民主党の前原外務大臣(当時)が、外国人からの献金問題で辞任しており、また、菅首相(当時)への献金問題も出てきていた。100%辞めないとわかっていても(週末だったし)、気の小さい私は「最悪の場合」をいつも想像する。そんなことを考えながら、歩いて7分の職場に2時半い着いた。
職場にはテレビがあちこちにあり、それを見ながらみんな仕事をしている。だいたいNHKを見ている。私も空いてる席につき、コンピュータを立ち上げ、すでに出稿されていた記事を確認しながら、仕事の準備をしていた。2時47,8分だったかに、共同通信からのニュース(通称ピーコ)から「東北で大きな地震」の報あり。多分、号外級の「カラン、カラン、カラン」という合図が鳴ったと思う。職場にいた人たちはいつの間にか、テレビの前に来てじーっと見入っていた。
テレビの画面も揺れている。その揺れは震源地の東北ではなく、東京の渋谷からの中継だった。「これは、号外・・・、でも、私、一人じゃあ何もできない」と思っていると、裏階段の方から、以前の部長だったS氏が降りてきて、「おいおい、これはたいへんだ。号外だよ」と大きな声で言った。すぐに号外を作るために、また空いているコンピュータを立ち上げる。そうしているうちに、その日のデスクだったU氏がイヤホーンを聞きながら表階段の方から出勤してきた。「あ~、Uさん、よかった。地震があったので号外出すんですよ」と私は教えた(ちなみにこの日の彼はレモン色のジャケットだった)。
U氏は「え、そうなの。FM聴きながらきたけど、FMは何も放送していなかったなあ」と言いながら、彼も号外の準備を始めた。地震のあとの津波、そして原発事故と次々と被害が拡大していき、号外も2版出したのではなかったか。そうこうしている中、夜勤勤務の人たちが集まり、また、未曾有の大地震ということがわかってきて、新聞も増ページすることになり、この日休みだった人たちも呼び出されて来ていた。
私は号外の手伝いをし、そして、その日の自分の担当ページを作った。U氏が「Mさんは今日は何面なの?」「文化を2日分ですが、増ぺに対応しますよ」というと、「じゃあ、もう残って○面も作ってね」ということで夜も仕事をした。
あの津波の画面はいつ見たのだろうか。次々と車が流され、町がのみ込まれ、「たいへんなことが起こっている」という簡単な言葉では足りないほど。なんと表現したらいいのかわからなかった。1年たってもまだまだ生生しい映像だ。
今、NHKで各地に避難した人たちの声を伝えているが「あっという間の1年」「東京に避難してきて、周りの人にほんとによくしてもらっている。でも私たちの思いは家族一緒にふるさとに帰りたい」。胸にジーンとくる。ふるさとで家族と一緒に暮らすというシンプルなことが今、とても尊いものになっている。
2012年03月05日
春、3月は・・・
春、3月は希望の季節であった。昨年の今頃、だれが1年後の3月を想像しただろうか。
来る日曜日、3月11日は東日本大震災から1年ということで、今週に入り、マスメディアはあの「悪夢の時間」を再現している。
昨日(4日)、NHKで全国から寄せられた、大震災のその瞬間をカメラに収めた映像を放映していた。私たち沖縄の人間は、テレビに映った画面を覚えているが、個人で撮った映像は生々しく、衝撃が強く、音がすごく、自然の猛威に人間はなすすべもない、というのを確認させるものだった。映像を見ていてもショックなのに、実際にその場にいた人たちはどんな思いがしただろうか。舌足らずな表現になってしまうが、ほんとに今でも、東北を思うと胸が締め付けられる。
朝日新聞が、2月下旬から「東北、千人の声」というのを掲載している。11日まで岩手、宮城、福島3県の人の「今の声」を紹介している。
私が驚いたのが、70歳以上の人たちの前向きな姿勢。がれき処理や復興への政府の取り組みの遅れは今でも目に余るのだが、しかし、人々は毎日をがんばって生きている。「仮設住宅で、いろんなサークルがあり、それに参加するのが楽しみ」「この年(70代なかば)になって、新しい仲間ができてありがたい」「また、畑を始めたい」などなど、みんな希望を持っているのだ。戦後の混乱の中を・・と書いて、気がついたが、70代の方たちは、終戦直後は小学校になるかならないか、いっても10代前半の若者だった。無の中からの日本の高度成長の一翼を担ってきた人たちなのだ。強い意思を持っているはずである。脱帽。
反対に、われわれ現役世代が将来への不安の言葉を残していたのが目立った。確かに、子供の将来、家のこと、年金、仕事、老いた両親など、肩にかかるものは大きく重い。しかしやっていくしかないだろう。まだまだこの言葉は続く。「がんばろう、日本」。春、3月はやはり希望の季節だ。
来る日曜日、3月11日は東日本大震災から1年ということで、今週に入り、マスメディアはあの「悪夢の時間」を再現している。
昨日(4日)、NHKで全国から寄せられた、大震災のその瞬間をカメラに収めた映像を放映していた。私たち沖縄の人間は、テレビに映った画面を覚えているが、個人で撮った映像は生々しく、衝撃が強く、音がすごく、自然の猛威に人間はなすすべもない、というのを確認させるものだった。映像を見ていてもショックなのに、実際にその場にいた人たちはどんな思いがしただろうか。舌足らずな表現になってしまうが、ほんとに今でも、東北を思うと胸が締め付けられる。
朝日新聞が、2月下旬から「東北、千人の声」というのを掲載している。11日まで岩手、宮城、福島3県の人の「今の声」を紹介している。
私が驚いたのが、70歳以上の人たちの前向きな姿勢。がれき処理や復興への政府の取り組みの遅れは今でも目に余るのだが、しかし、人々は毎日をがんばって生きている。「仮設住宅で、いろんなサークルがあり、それに参加するのが楽しみ」「この年(70代なかば)になって、新しい仲間ができてありがたい」「また、畑を始めたい」などなど、みんな希望を持っているのだ。戦後の混乱の中を・・と書いて、気がついたが、70代の方たちは、終戦直後は小学校になるかならないか、いっても10代前半の若者だった。無の中からの日本の高度成長の一翼を担ってきた人たちなのだ。強い意思を持っているはずである。脱帽。
反対に、われわれ現役世代が将来への不安の言葉を残していたのが目立った。確かに、子供の将来、家のこと、年金、仕事、老いた両親など、肩にかかるものは大きく重い。しかしやっていくしかないだろう。まだまだこの言葉は続く。「がんばろう、日本」。春、3月はやはり希望の季節だ。
2012年03月01日
オスカーに輝くフランス映画「アーティスト」

(受賞の瞬間の「アーティスト」の左から、デュジャンルダン、アザナヴィシウス)
もう御承知でしょうが、今年のアカデミー賞の作品賞はフランス映画の「アーティスト」がもらいました。84年の歴史を誇るアカデミー賞の中でフランス映画が作品賞をもらうのは初めてです(外国語映画賞は何本もありますが)。そして、もっと歴史的なことは、ジャン・デュジャルダン、フランス人の男優が主演男優賞をもらったこと。そのほか、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、衣装デザイン賞、音楽賞、の5冠に輝きました。
昨年末からの賞レースを席巻したといわれる「アーティスト」、下馬評も高かったのですが、個人的意見としては、作品、男優は別のところではないかと思っていました。
日本でも4月に公開されるこの作品は、モノクロ、無声映画です。「映画へのオマージュ」とでもいいましょうか。無声映画の受賞も83年ぶりだったそうです。

(オスカー像を手に、喜び爆発のデュジャルダン)
ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピッドといった世界的大スターを抑えて見事主演男優賞をもらったのが、「アーティスト」に出演していたジャン・デュジャルダン。国際的にはほとんど無名でしたが、この映画で、カンヌ映画祭、ゴールデングローブ、英国アカデミー賞の主演男優賞ももらい、注目されています。
少し、ジャンについて説明します。喜劇俳優というイメージがあり、日本でいえば、アンタッチャブルのザキヤマ、くりぃむしちゅ~の有田のような、うるささ、にぎやかさのある人です。今年40歳になり、これからがいい時期を迎えますね。
2000年前後にフランス2(仏のテレビ局)で、月曜日から金曜日、午後8時55分から9時まで、「UN GARS ET UNE FILLE」というミニドラマに出演し現在の配偶者であるアレクサンドラ・ラミイと、どこにでもいるような普通のフランス人カップルの日常を面白可笑しく演じていました。この番組はけっこう続き、生きたフランス語も学べました。この時のジャンを知っている(見ている)だけに、今回のオスカー獲得には感慨深いものがあります。
ジャンは若いころ、映画のオーディションを受けたとき「顔の表情が豊か過ぎて映画には向かない」と言われたそうです。しかし、今、世界の映画人の夢、金のブロンズを手にしたジャン。甘い、渋い、重いという感じのこれまでのフランス人男優とは違い、陽気で軽いのが彼の魅力でしょう。フェリシタシオン(おめでとう)
※写真は仏紙「リベラシオン」から
2012年02月22日
残念、雪遊びイベント中止

那覇市が2月23日に松尾のにぎわい広場で開催する予定だった雪遊びのイベントが中止になった。雪は青森から運ばれてくる予定だったが、その雪の放射線汚染を不安視する声があったからだ。その声をあげたのは、原発の放射能汚染を恐れて沖縄に避難してきた幼い子を持つ保護者ら。
21日付けの新聞にその保護者らが「中止要請」との記事があったが、今日、22日に結論が出た。
ここからは、非難承知でつづる。
私は子がいないので、親が子の健康を思うのは想像の域を出ない。おそらく子供がいたら不安を訴えた保護者らの気持ちが今よりももっとわかっただろう(か?)。
この新聞記事を読んで最初に思ったことは「沖縄の子たちは雪を見たことのない子が多い。だから雪を見せたかった・・・」。
東京に住んでいた学生時代、またパリに住んでいたころ、雪が降るとあちこちで歓声が聞こえ、なぜか心がウキウキしたものだ。中学校のときに、沖縄にあられが降ったことがあって、部活動中の私たちは、練習どころではなく、おおはしゃぎしたものだ。
2月上旬の北陸や東北での大雪で、生活に支障をきたした人たちをテレビの画面で見て「雪」が降る地方の暮らしはほんとに大変だと思った。
しかし、南国の子らにとって「雪」は一種のあこがれがある。
那覇市は、要請に対して、放射能の青森県側の調査結果を提示し「危険ではない」と答えたらしいが、避難してきた人たちからそれを疑問視する声があったらしい。
横浜からの避難者(想像するに、東北3県でないところからということで、経済力もある方なんじゃないでしょうか)が、他のところで同様のイベントがあるのなら、同じように中止をと言っていた。
「子」の安全、この場合の「子」は、自分の子だけでなく、すべての「子」を思っての要請だと思うが、私は「危険」だと思ったら、イベントに行かなければいいのでは、という結論にいたったのだが。
みなさん、どう思いますか?(ちょっと結論が軽かったかな)
2012年02月16日
ハッピー・ヴァレンタイン

今年のヴァレンタインも友チョコをたくさんあげました。そしてもらいました。
上の写真は、福岡に住むTさんが送ってくれたもの。「ピエール・マルコリーニ」のチョコで、上品でおいしかった。形もかわいい。
14日、バイト先に行ったら、机の上に・・・。

モテる男子の気持ちがわかるワ。キャー、うれしい!!

同じバイト先のTちゃんから、こんな愛らしいチョコももらいました。

妹からも。スニッカーズもあったけど、すぐに食べてしまった。おいしいね。
来年は、久しぶりに「本命」チョコでもあげようかな。
2012年02月13日
ホイットニー・ヒューストン、名唱
1991年1月27日、アメリカのフロリダ州タンバで行われた第25回スーパーボールでのホイットニー・ヒューストンによるアメリカ国歌斉唱です。歴史的パフォーマンスと言われています。「歌姫」という言葉は、空高く響く声の持ち主に与えられる称号ではないでしょうか。この人はぴったりですね。この動画のコメントにも「ほんとにうまい」「アメリカ国民でもないのに鳥肌たっちゃう」など、称賛の言葉が並んでいます。
1991年は湾岸戦争の真っ最中で、この歌唱がアメリカ国民の愛国心を揺さぶったとありました。また、10年後の2001年、9・11の同時多発テロの時に、この歌声がCDとしてリリースされたそうです。
彼女の歌では映画「ボディーガード」の「オールウェイズ・ラヴ・ユー」も素敵ですね。これでもか、これでもかという歌唱で心に響きます(個人的にはオリジナルを歌ったドリー・バートンの方が好きですが)。
私の印象では、彼女は歌の上手なお嬢様。芸能界の優等生。歌手になってからその歌声で世界中を魅了しました。なのに、変な男にひっかかって・・・。問題児のボビー・ブラウンだよ。結婚の記事を読んだ時に「優等生はワルにひかれるんだね」と思ったけど。推測ですが、男に「遊び(ヤクとかね)」を教えられて歯止めが効かなくなったという印象です。間違っていたらごめんなさい。
90年前後のアカデミー賞の授賞式で、映画主題歌賞のプレゼンターとして現れたホイットニーは「なんならノミネート曲、全部歌ってあげましょうか」と自信満々でした。こんな高ピーに言っても「はい、あなたの声で聴きたいです」と思わせてしまうすごさです。
同じ年だったホイットニー。これから、50の大台になってこれまでの経験を歌でどう表現していくのか、楽しみでしたのにね。天国からあの歌声を聴かせて。
2012年02月06日
家族の記録「エンディングノート」
10日ほど前、1月の下旬、「エンディングノート」を桜坂劇場で見てきました。
砂田麻美さんという若い女性の監督第一回作品。実の父親が、がんと宣告され、亡くなるまでの日々を追っています。
残された日々に、死にいたるまでやり残したことをこなすために「段取りよく」するために書かれたのが「エンディングノート」です。
主人公の砂田知明さんは、1942年生まれ。団塊世代のちょっと前の人で、日本の高度成長期も知っているし、80年代のバブリーな時期、そして、自身の会社生活後半となる日本経済が停滞していった「失われた10年」も経験しています。
「仕事人間」ではあるけれど、残された家族のヴィデオには、子供たちと楽しく遊ぶ砂田さんも映っており、家庭も大切にする人だったということをうかがわせます。それだからこそ、父親の病気を知って、家族が一丸となって支えていったのでしょう。
決してお涙ちょうだいではなく、普通の毎日が流れていきます。その中で、砂田さんは「死」への準備、娘の麻美さんはそれをたんたんとカメラに収めます。がんを宣告された当時の丸々ふとった砂田さんと、数か月後のやせて10歳も老けた砂田さん。とても同じ人とは(しかも短期間で)思えません。
麻美さんは、上のきょうだいたちと年が離れていたため、特にお父様と仲がよかったそうです。「父が出張にいっちゃうとさみしくてしょうがなかった」ほど(インタビューで話していました)。そんな最愛のお父様の最後を、「映画監督」として向き合っています。
砂田さんの94歳になるお母様がお元気(知的でしゃきっとしていらっしゃる)で、彼女と最後の旅行に行ったときに、「葬儀は、教会でやりたいけど、いいか?」と聞き、母親は「あなたがいいんだったらいいんじゃない」と、事務的だけど、いろんな思いがつまってったんでしょうね。
麻美さんは、幼いころから映像を撮るのが好きだったらしく、1998年に亡くなった砂田さんのお父様の姿もとっています。すでに認知症になっていて、自分がかつて経営していた医院を歩きまわっているのですが、「映像ってすごいな」と思いました。一般の人の記録だけによけいそう感じました。
2009年に撮られた記録で、鳩山由起夫の顔がアップの「政権交代」と書かれたポスターの前を通って投票に行く映像もあります。あー、今の日本の状態を見るとずっと昔のことのようですが、あれから2年半しかたっていないんですよ。その年末に砂田さんは人生を終えますが、今の日本を天上からどう見ているでしょうか。
アメリカに滞在している息子さん一家も出てきますが、砂田さんが初孫さんと声を出して笑っているところはほんとに楽しそう。彼への最高の贈り物でしょうね(この息子、市川亀次郎にそっくり)。
桜坂劇場で、3月2日までやっています。「死」と「家族」について考えさせられた映画でした。
2012年02月02日
ああ、こんなイケメン!「骨まで愛して」
昭和のイケメン歌手、城卓矢の「骨まで愛して」です。1967年の歌。戦後、昭和の青春の時ですね。
1935年生まれで、亡くなったのが89年。肝硬変だったそうです。享年53歳。この動画は1983年のものだから、47,8歳の時。男盛りですね。you tubeのコメントにも「イケメン」「ほんとにいい男」「美男子」とほめ言葉が並んでます。
ねえ、かっこいいよねー。もとはカントリー&ウェスタンの歌手だったそうです。やっぱ「洋もの」も似合いそうですよね。今、元気だったら、渋いじさまになっていただろうね。こんなハンサムで、しかも早稲田大学を出ているらしい。
「骨まで~」と体を揺らすところがたまりません。私は昔、「懐かしの歌」みたいな番組ですでに城卓矢を見ていました。小学校高学年、中学生かな。その時はもう引退していたようですが。
この画像で、途中スター「にしきのあきら」が映りますが、音楽番組でみんなで聴いていたようです。
70年代の画像もありましたが、このひげの顔がステキなのでアップしました。
いやあ、ほんとにステキ!
2012年01月29日
大根のベーコン巻き・パパ風

昨日(1月28日)、父が作った「大根のベーコン巻き」です(ちょっと写真がブレて残念)。久しぶりに実家に行き、父とおしゃべりしていたら「さて、ワシはちょっと作ってみたいものがある」といきなり席を立ち台所に行った。本だかテレビだかで見たらしく、「簡単そうでこれならできる!」と思ったそうだ。私も料理は「簡単そう、おいしそう」で作るのだが、これは父譲りだったのか。
父が台所に立って夕食の準備をしている間、私と妹は買い物へ。
父は定年後家族の朝食を作っている。日によっては3食作っているんじゃないかしら。自分の畑を持っているので、そこで収穫した野菜をチャンプルーにしたり、味噌汁にいれたり、煮物にしたり。たまに実家に行くと、「かめー、かめー」攻撃で閉口してしまうこともある。かめー、かめーはおばさんだけじゃなく、おじさんの武器でもあるようだ。
炒め物に必ず生姜を入れるので妹が辟易しているが、いつも丁寧に作っている。でも、作る過程は見ないほうがいいかもしれない。
昨日のこのベーコン巻きは、だしから取り味が染みるまで煮込んだ。ニンジンとパセリの鮮やかな色がおいしさを演出している。これも父の盛り付けだ。これから一品料理持ち寄りのパーティとかに「パパ、これ持っていけばいいよ」と年増の娘2人は食べながら、父を喜ばせた。おいしかった。

おまけです。29日の朝食。妹が食べにくるので準備しました。その後、久しぶりに中部へドライブ。
2012年01月29日
Yさんの激励会

1月27日に、職場の先輩であるYさんの退職記念を兼ねての激励会をした。場所は、会社の近く天久にあるイタリアンレストラン「オステリア・バーゼ」だ。
Yさんは昨年春に定年を迎え、12月まで雇用延長で働いていた。激励会には、職場で彼女と仲のよかった人たちは、OGの方々にも来ていただき、Yさんの新たな門出を祝った。
外は寒く、大雨が降っていたが、仲は彼女にまつわる話、その他、最近の世間の話題などで盛り上がり、気分は温かかった。本格的なイタリア料理もおいしかった。
Yさんは、おおらかなそして繊細な人で、一回り下の生意気な後輩(私)をかわいがってくれる。昨年夏にワーキングホリディーでカナダにいる甥っ子さん(現在、沖縄)のところに行き、海外旅行の楽しさがわかったようで「年に2回は海外に行きたいな」と言っている。私には「フランスはね、あんたと行こうと思ってとってるよ」。多分、この人ならこう言うんじゃないかなあと思っていたことをやっぱり言ったね。「あんたの旅費は私が出すさ~」。う~ん、その後の人生、あなたにひれ伏すか?
ま、私とYさんはこういう仲です。
2次会は、美栄橋駅近くのバーバフィーノ。2次会からの参加者もいて、夜のふけるも忘れ話がはずみました。
Yさん、これからもよろしく。

2次会をしたバーの入口の方。天上が高くて、中欧のバーのよう。


