2012年01月29日
Yさんの激励会

1月27日に、職場の先輩であるYさんの退職記念を兼ねての激励会をした。場所は、会社の近く天久にあるイタリアンレストラン「オステリア・バーゼ」だ。
Yさんは昨年春に定年を迎え、12月まで雇用延長で働いていた。激励会には、職場で彼女と仲のよかった人たちは、OGの方々にも来ていただき、Yさんの新たな門出を祝った。
外は寒く、大雨が降っていたが、仲は彼女にまつわる話、その他、最近の世間の話題などで盛り上がり、気分は温かかった。本格的なイタリア料理もおいしかった。
Yさんは、おおらかなそして繊細な人で、一回り下の生意気な後輩(私)をかわいがってくれる。昨年夏にワーキングホリディーでカナダにいる甥っ子さん(現在、沖縄)のところに行き、海外旅行の楽しさがわかったようで「年に2回は海外に行きたいな」と言っている。私には「フランスはね、あんたと行こうと思ってとってるよ」。多分、この人ならこう言うんじゃないかなあと思っていたことをやっぱり言ったね。「あんたの旅費は私が出すさ~」。う~ん、その後の人生、あなたにひれ伏すか?
ま、私とYさんはこういう仲です。
2次会は、美栄橋駅近くのバーバフィーノ。2次会からの参加者もいて、夜のふけるも忘れ話がはずみました。
Yさん、これからもよろしく。

2次会をしたバーの入口の方。天上が高くて、中欧のバーのよう。
2012年01月26日
「もらって当然」のシャーリー

先日、芥川賞を4回目のノミネートで受賞した田中慎弥氏の受賞の言葉「もらって当然だと思う」が話題になっているが、これは彼も言っていた通り、アメリカ女優のシャーリー・マクレーンが「愛と追憶の日々」(1983年、ジェームズ・L・ブルックス監督)でやっとオスカーをもらったときのスピーチ。
約30年前のこの受賞式をテレビで見ていたが、私が印象に残ったのは、共演者の一人であったジャック・ニコルソン(この映画で助演男優賞受賞、弟ウォーレン・ベイティのマブダチ)に「ファイブ・イージー・ピーセスであのサンドイッチを食べるシーンを見たときから一緒に仕事をしたいと思ってた」と話したところだ。女優はすごいなと思った。そして、オスカー像を「これいただくワ」と言って舞台のそでにひっこんだのもかっこよかった。
1月23日にひかりTVで偶然にも「旬」な話題の「愛と追憶の日々」が放映されていた。見ての感想、やっぱりシャーリーが言ったように「(オスカーを)もらって当然」の演技だ。オーロラという若くして未亡人になった裕福な家庭の女性を演じているが、全編これシャーリー・マクレーンである。
娘の夫になる人が気に食わないから「やっぱり結婚式には出られない」。娘が「赤ちゃんが生まれるのよ」と喜んで報告すると「私がおばあちゃんになるのー」とショックを受ける母。隣人のジャック・ニコルソンとの初デートのときのあの風に吹かれて髪をなんとかしようとするところなんて、お腹が痛くなるほど笑った。ああ、シャーリーはほんとにコメディエンヌなんだ。
そして、ニコルソンをベッドに誘うところ。ニコルソンがシャーリーの肩に手を回すと「私、孫がいるのよ(何、考えてんの)」とその手をほどくがすぐにブチュー。
娘のデボラ・ウィンガーが余命いくばくもない病気になったときの看病ぶり。ここでの演技はシリアスな中にも彼女らしいユーモアもあって、他の人には真似できないだろうなと思った。
シャーリー・マクレーンは何を演じてもその役柄を全部自分にしてしまう(ダイアン・キートンもそうかな)。その対極にいるのが、メリル・ストリープで、完全に役に乗り移っちゃうからね。
シャーリー・マクレーン。最近は2,3年前に「ココ・シャネル」を演じていたが、これもシャーリー・ココでしたね。1934年生まれだから、今年78歳になる大おばさまだ。
2012年01月23日
「木村伊兵衛のパリ」

一昨日の土曜日(21日)、胃カメラの検査、結果はあっけないほどに「なんともありません」だった。ピロリ菌もなく、10月に「逆流性食道炎」と言われたが、それもなかった。ものすごくほっとした。しかし、胃の不快感はどこからなんだろう。よくストレスは胃にくるというが、私は人に言えない悩みを持っていてそれで悶々としているので、胃にきているのだろうか。とにかくよかった。ご心配かけてすみません。
昨日(22日)、朝早く起きて、といっても9時だが、新聞のテレビ欄を見ると、NHKEチャンネルの「日曜美術館」で木村伊兵衛のパリとあったので、すぐ実家、妹、おばに電話を入れて「見てよ~」と教える。私たち家族は、旅行した国、特にフランスがテレビで放映されるのがわかると、すぐにお互いに電話をする。画面を見ながら懐かしみ、そしてまた「行こう」と心に誓うのだ。
で、伊兵衛のパリだ。1954、55年に、カラーフィルムが出現、その「試験」も兼ねて、フィルム会社からパリに「派遣」されたらしい。伊兵衛は普通の人たちの日常を撮る写真家だ。58年前のパリも、撮総天然色で、画面からパリジャンたちの声が聞こえてきそうだった。
上の写真は、1954年に撮った「コンコルド広場の夕暮れ」。遠くに見えるエッフェル塔が優雅だ。
下の写真は、パリの北の方、メルニモンタン広場の革命記念日(7月14日)の様子だ。1955年の撮影。広場界隈の人たちが、祭りを楽しんでいる。コンコルドは今もパリの中心地だが、メルニモンタン広場は、大きなマンションが建っていて、写真の風景とは異なっていた。番組のナビゲーターの千住明と緒川たまきが「パリの街って変わらないと思ったけど、変化したところもあるんですね」と驚いていた。
ああいう観光地以外のパリを見ると、胸がキュンとなり行きたくなる。

2012年01月19日
シャンパンと、キティと、ユーミンと

グレーな状態ではいられない。前のブログでへこんでましたが(コメントありがとうございました)、16日は高校のお友達のMさんと、若い友人のLちゃんとの新年会がありました。
スタートは久茂地のシャンパンバー。シャンパン1本とるのはなかなかできないけど、グラスならね。やっぱり、シュワ、シュワ、シュワの泡はおいしい。

Mさんはキティちゃんが大好き。ほら、こんなに持ってるんですよ。私たちが少女のころからキティのかわいさは変わらない。

泉崎のイタリアン。カフェバー「ラ・ミア」で。一応ここがメインの場所。白ワインを1本あけました。フルーティで少し渋め。話しが盛り上がり、もう一か所行コ!Mさん一押しの「ユーミンバー」へ。

ジュンク堂近くにあるユーミンバー。♪ボンソワールで始まるユーミンの歌のタイトル、「観覧車」という名前のバーです。店のママさんの夫がフランス人で、久しぶりにフランス語でおしゃべりして楽しかった。好きなユーミンの音楽も流れてみんなで大合唱。写真では「遠藤賢司」のチラシが目立つね。
2012年01月15日
心はグレー

昨年10月に胃カメラを飲んだ。検査後、担当医師に「逆流性食道炎、びらん性胃炎」といわれ、特にたいしたこともなく「大丈夫です。食後すぐに横になるようなことはしないほうがいいです」というのが、そのときのアドバイスらしきものだった。お腹の調子がおかしくても、病院に行って医師から何かいわれると安心し、不思議とそれまで不快感があったのもなくなる。
しかし、昨年末ごろ(ほんとはもっと前かな)から一日に一回は胃が変だなという感じが、けっこう長く続き年があけてからは不快感がずっとある。会社の保健師に相談もし、「発酵食品を常時用意していたほうがいいよ」と言われたので納豆とヨーグルトをすぐに買ってきた。
何かお腹に感じるなーから、今は突っ張った感じもある。
昨日、病院に行った。昨年胃カメラで検査したところとは別の病院で、私は過去2回その病院で胃を見てもらっている。
昨日担当した先生が「ピロリ菌の検査をしたことがあるか?」と聞いてきた。今までその検査をしたことがなかったので、来週の土曜日の胃カメラ検査のときにピロリの検査もしてもらうことになった。
家に帰って「ピロリ菌」についてネットでしらべた。「腹の不快感が続く」などピッタリの症状なのだ。胃潰瘍、はては胃がんの原因にもなるとあり、私はドーンと落ち込んだ。早期発見だったとはいえ、乳がんのことはいつも頭から離れない。もし、またピロリで、最悪の場合だったら私はどうしたらいいんだろう。「病は気から」というけどここで「踏ん張るそ」と力を出しきれそうにもないのだ。
まだ検査もしていないので、あとのことなんて言えないのだが・・・。しかし、食欲はあるのである。いつもは困った食欲ちゃんだけど、今は、これだけ食べたいという気持ちがあるのだから病気ではないだろう、と思ってはいる。
心はグレーですが来週はやることがいっぱい。やるべきことをたんたんとこなすしかないね。
2012年01月11日
ミュンヘンの12人

沖縄が日本に復帰した1972年、その年の8月にミュンヘンオリンピックがあった(当時西ドイツ)。それを見て、「いつか私もオリンピックに行きたい!」とオリンピックフリークになった私。しかし、運動神経が全然なかったのでそれは無理とすぐにわかり、スポーツ観戦好きの頭でっかち少女になってしまった。上の写真の本は、オリンピック好きの私のために、父が出張に行った時、駅だったか空港だったかの本屋で見つけてきたものだ。
「ミュンヘンの12人」は、男子バレーボールで金メダルと取った選手たちのこと。当時、オリンピックの2,3カ月前に、日曜日の午後7時から「ミュンヘンへの道」というアニメも放送されていた。
私は、日本の大砲ビッグスリーのひとり、横田忠義選手が好きだった。
この本は、先日81歳で亡くなった、男子バレーの監督、松平康隆氏によるもの。亡くなったときの新聞記事を読むと、コートに人を呼ぶためにいろいろな企画を出したアイデアマンだったとある。あのアニメもその一つ。当時私は小学3年生だったが、そのときの高校生たちのアイドルはバレーボールの選手たちだった。松平さんは、選手を強くするだけでなく、人気獲得にも「尽力」したのだ。
この本には、試合や選手村の様子の他に、ミュンヘン近郊を観光している選手たちの写真も掲載されている。ミュンヘンに着いてすぐ、観光バスを借り切って南ドイツに行ったとあった。選手たちには「人間的にも成長せよ」と、遠征に行く国の大使館へ行き、その国を学んで「発表会」らしきものもやったそうだ。それだからか、写真の選手たちは、とてものびのびと、オリンピックを楽しんでいる。バレーだけでなく、教養も身につけていたから、勝てたのだなと思う。
優勝後の祝賀会の模様もあるが、そのなかでもほんとにうれしそうな松平さんの声が、本から聞こえてきそうだ。
ミュンヘンから40年の今年のロンドン五輪、日本の男子バレーは、出場することはできるのだろうか。

優勝後の祝賀会で。喜び爆発の松平さん。今ごろは幼くして亡くなった息子さんと再会していることだろう。
2012年01月05日
パリ女子会

新年おめでとうございます。昨年は、日本にとって忘れられない(忘れてはならない)年になりました。東日本大震災。まだこれに関する記事や映像を見ると、私は泣いてしまいますが(ごめんなさい)、被災地の一日も早い復興を祈らずにはいられません。今年は、みなさんにとってほんとにいい年でありますように。
1月3日、かつてのパリ在住者とこの年始年末に帰ってきている女子合わせて4人で、女子会ランチです。Cさん、Nさん、パリからのMさん、そして私。昼間っからグラス傾けて・・・って感じの写真ですが、Nさんの知り合いからのごちそうで、いっぱいだけでした。
私がフランスから戻ってきてこの1月9日で早5年。時間のすぎるのはほんとにあっという間です。帰ってきて、すぐに古巣から「手伝ってほしい」という連絡があって仕事も見つかり、臨時職員として3年間、今は派遣という立場ですが引き続きその昔の職場で働かせてもらっています。
ニューカレドニア友好協会に入り、県人会設立のため現地にも行きました。甲状腺の病気にもなり、まさかの乳がん、そして手術。フランス時代から持っていた子宮筋腫が大きくなってそれを取り除く手術も。一昨年は祖母がなくなり、初めて肉親の死を経験しました。今でも時々、祖母のことを思い出し目頭が熱くなります。心の中で話しかけています。
フランスでの日々は、未だに私の中に生々しい映像として残っています。でも、フランスでの生活が夢の中のことのようにも思えるのです。たいへんなこともたくさんあったけど、やっぱり楽しかったなあ。そういうチャンスをくれた、応援してくれた家族に感謝です。
今年は前回のブログにも書きましたが、「削る」のが目標。「落とす、減らす」も。これ、全部「肉、脂肪」です。今年は40代最後の年。「♪こんな日が来ると~、思わなかった~」という歌のフレーズが出てきますが、みずみずしい50歳を目指し、健康、美容に気をつけたいと思います。ま、何よりも楽しく行こう!!
パリ女子会、フランスのおもに沖縄県人の話で盛り上がりました。
2011年12月31日
来年は「削」る

昨日、仕事しながら同僚と「2000年なんて私にとってはつい昨日のことのようなんだけど、今年入った子たちは当時中学生ぐらいだったから、うんと昔なんだよねー」と話した。年を取ると、ほんとに時間の過ぎるのが早い。
あの津波の大画面のショックは忘れることはできないが、大震災の被災地の人たちは、一歩一歩着実に生活の再建に向かっている。新聞等でその日「3.11」に関する記事を読むと、今も泣きそうになる。がんばろう日本、東北はまだ続く。
今年は、私は働いた年だった。借金(かわいい額なんだけど)を返すためと生活費稼ぎでバイトも始めた。最初は肉体労働。これは体がついていけなくて3カ月で止め、8月から今の翻訳のバイトを始めている。毎週、何かいい仕事はないかと就職情報誌を買っていくつか面接を受けていたのだが、この翻訳の仕事を見つけてほんとによかった。
私は週に3回だけだから、一緒にフランス語をやっている若い子のアシスタント的な立場だが、楽しい。いずれ、翻訳をやりたいなあと、その学習のためにフランスの新聞、雑誌から好きな文章をタラタラと訳していたのだが、それはあくまでも「趣味」という範囲を出なかった。しかし、バイトとはいえ、仕事となるとモチベーションが上がる。単語も、熟語も覚えることいっぱい。訳しながら、改めて「フランス」という国を学んでいる。新しい年はもっと磨きをかけたい。
さて、来年の目標、「削る」年にしたい。実家のいらないもの(すごくたくさん)を片付けて、「福」が来るように。それから私の体についている「肉」を落とす。先日、家の近くのマッサージに行って、いつものように「こんなんに体が堅い人って珍しいです」と驚かれた。だから、体がむくみやすかったり、いろいろなトラブルがあったりするのだという。とにかく体重を減らそう。いいことがあるかもしれない。
そのいいことの「前兆」(?)になればいいのだが、昨日、以前一緒に仕事をしていた人から久しぶりにメールをもらった。彼女は数日前に私が「再婚した」夢を見たそうだ。う~ん、私の男が絡む夢はいっつも相手が途中でいなくなる、というのが多かったのだが、これはうれしいね。
最後にまとめとして、沖縄も日本も世界も、非常に大変な時期だが、一日一日を大切に、生活の中での感動と笑いを忘れずいたい。
ブログ、来年もよろしくお願いします。ありがとうございました。
BONNE ANNEE
2011年12月30日
AKB 忘年会

昨日(12月29日)は、バイト先の忘年会だった。余興もあり、若い子たち(ほとんどですが)が、写真のようにAKB48の真似をしていた。
楽しいだろうなあ。みんなで歌って、踊って。私も若いときに組合の忘年会で、九州のどっかの民謡に合わせてひょっとこみたいなお面をつけて「女性部」でおどったことがあるけど(なんという違い)、やっぱり楽しかったなあ。
みんな仕事は午後7時までで、それから練習したと思うけど上手だった。それにかわいい。他の余興もありみんな歌って踊って、楽しそうだった。沖縄の結婚式の余興が話題になるが、昨日も舞台を見ていて、結構なレベルだなと思った。
ビンゴでは外れ、料理はおいしかったがパスタ系がないのが残念だった。来年も若い人の刺激を受けて、バイト(翻訳)頑張りたい。
2011年12月26日
シンシンのキッシュ

25日のクリスマスの日、泡瀬の叔父の家でクリスマスパーチーがあった。ほとんど泡瀬のおばといとこが料理は用意していたのだが、私は野菜のキッシュ、名付けて「シンシンのキッシュ」を作って持っていった。シンシンとはかつての台湾人のルームメート。彼女がこの野菜キッシュを作っていた。そばで見ていた私は後日、「おいしそう、簡単そう」で作ってみたのだが、これは私のレパートリーのひとつになった。この料理を紹介してくれた台湾人のルームメートに敬意を表して「シンシンのキッシュ」です(他にエルザのサラダとか、ケイコのパンなど、友人からのパクった料理があります)。
材料は、たまご、サワークリーム、ホウレンソウ、ピーマン、しいたけ、ライスペーパー(キッシュの生地に)、トマト。写真には映ってないけど、にんじん、ツナ、たまねぎ。野菜は冷蔵庫にあるものを。

野菜は切って、普通にチャンプルーを作ります。味付けは塩、コショウ、しょうゆ。

普通はキッシュの生地は小麦粉から作りますが私はライスペーパーを使います。
小麦粉からだと時間がかかってしまうけど、これなら水にもどして容器に型を作っていくだけ。最初にまんなか、あとはまわりをふちどりながら、5,6枚は使います。

サワークリームを柔らかくします。柔らかくなったらたまご(3,4個)加えます。好みによって牛乳、豆乳を少し。ミキサーを使えば早くできますが、私は持ってないのでけっこうな力仕事になりました。

炒めた具、チャンプルーを容器に入れ・・・

サワークリーム、卵を混ぜたものを流し込みます。器全体にいきわたるようにします。
流しこんだら、トマトでまわりをふちどります。

トマトを飾ったら、ゆでたほうれんそう(塩で少し味つけをしていたほうがいい)をちりばめ、真ん中にまた赤いトマトを置きます。昨日は細切りチーズを少し散らしました。オーブン180度、30分ぐらいかな(ちょっとあやしい)。40分だと表面がきつね色になり少し固めになります。でもおいしく食べられます。
パーチーでは好評でした。準備に追われ、大切な完成の写真を撮り忘れた私。これがブログというもの!?
2011年12月23日
オー、クリスマス

今年は、自分の家のあちこちにクリスマスの飾りをけっこうしています。これは玄関。

私の母は持ち物が多く、部屋に飾っているクリスマスグッズも彼女のもの。昨年は引っ越しや祖母の死などがあり、余裕もなかったせいか、クリスマスの飾りを楽しむこともなかったが、今年は12月の声を聞いてすぐに部屋にサンタなどを置きました。

こんな飾りもあったので、エッフェル塔に。トナカイや雪だるま、サンタがタワーに上ってる。

ろうそくもあったので、ツリーのまわりに。来年はもみの木のツリーを飾りたい。
2011年12月18日
師走の街

久しぶりに土曜日(17日)が休みなので、夕方からパレットへ行った。
バスで行こうかタクシーかと悩んだが、又吉通りまで歩いて来てバス停の方を見ると運よくバスが止まっている。これに乗ろう!! 走ったね。バスも動かないので待っていてくれてるんだと思った。そうなるとよけいスピードを出す。ふー、とバスの前に着くと60歳位の女性が一人たっていて「故障しているらしくて、乗客みんな降ろされたんですよ」というではないか。えー、あのエネルギーを返してよと思っても無駄だ。幸いにも5分ぐらいで他のバスが来たのでそれにのりパレットまで。
デパートの前にはツリーが美しい光を放っていた。わくわくする。街ゆくひとも楽しそうだ。
私はパレットで、目をつけていた1年中着られるワンピースを買った。黒、赤、白の三色あって、赤と決めていたのだが、今日店で見ると白もなかなかいい。赤と白、もう一つデザイン違いを試着して、店員のアドバイスもあり白いワンピースを買った。ワンピースというよりもチュニックだな。
7階に行き、クリスマスカードを数枚買う。そして、地下に行き刺身を買う。780円(たぶん)だったが夕方の半額セール、さらにリウボウ友の会の割引もあり380円ぐらいで買った。そのあと酒コーナーに行き、スパークリングのハーフボトルを買う。
今日は実家で父と二人で夕飯を食べた。母は月1回の70代女子会(高校の同級生との模合)。しかし、夕飯は作っていた。今、父はほぼ毎日夕食時にワイン1杯は飲んでいるらしく、「ビールよりおいしい」という。また暑い季節になるとビールがほしくなるだろう。久しぶりに食事をしながら父とおしゃべりし、楽しかった。
2011年12月17日
街でサンタを見た!!

昨日(16日)、バイトを終えてバス停に歩いていたら、OTVのところで赤い衣装を着た人を見かけた。白いひげをはやしているし、もしかして・・・と思い近づいて「すみませ~ん、サンタさんですか?写真撮っていいですか?」と聞いてみた。私は外人タレントがクリスマスでサンタに扮しているのかと思ったのだが、その赤い衣装の人のとなりにいた女性が、「どうぞ、どうぞ。よければ一緒に撮りましょうか?この方はノルウェーのオフィシャルなサンタさんなんですよ」と教えてくれた。
「本物」のサンタだったのだ。さすが、北欧にはオフィシャルがいるんだ。私は「ブログで紹介したいので」とカメラを向けた。サンタさんは気軽にポーズをとってくれたよ。
で、話しかけた私(イングリッシュでね)。「私もオスロとベルゲンに行ったことあるんですよ~」。サンタさん「あ、そう」と少し驚いた表情だった。この日は18度。沖縄の人はぶるぶる震えていたのだが、彼は「オー、ホットねー」と言っていた。街でサンタを見るなんて、なんかいいことがあるかも!
夕方、会社に行ったら、またこのサンタさんにあった。彼も覚えててくれて、「あー、また会ったねー」と握手した。マスコミを回っていたようだ。新聞記事によると、ノルウェーではサンタはニッセというそうだ。彼は暑いといっていたけど、今日のような寒い日に来てよかった。気温が20度以上あったらサンタはたいへんだったと思う。
県内のスーパーでの催しに来たらしいので、このサンタさんに会う人も多いかも。
2011年12月11日
「恋人たちの予感」

今日(12月11日)、ひかりTVで久しぶりに「恋人たちの予感」(米映画、1989年、監督ロブ・ライナー)を見た。原題は「WHEN HARRY MET SARRY・・・」。この映画が公開された当時、私は新聞社の文化部にいて、「男と女の友情は成立するか?」なんてテーマで銀行の広報の方にも協力してもらって、特集をしたこともある思いいれ深い映画だ。ロマンチックコメディの走りともいえるこの映画のテーマは「セックス抜きで男と女の友情は成立するか?」。このテーマを聞いたときに、イタリア在住の作家塩野七生さんは「やめてよー、ちょっと気もちわるいわよー」と担当の編集者に言ったそうだ。なんでもイタリアでは、とにかく「寝ない(セックスする)」ことには男女の友情も始まらない、そうなのだ。
で、20年たって今年「ステイ・フレンズ」というセックスのみで男女の友情は成立するかというテーマの映画が公開された。いってみれば「セックスフレンド」のことなんだけど、別に新しくもないし一般人は映画よりもすすんでいるよね。
映画に話しをもどす。2010年代に見ても、色あせることなく、メグ・ライアン(この映画でロマンチックコメディの女王の座を確立、しかし今、どうしているのかしら)はチャーミングでとマシンガントークのビリー・クリスタルとのコンビは楽しい。ニューヨークの四季も美しく、それだけでも私は大好きだ。
映画の中でのメグ・ライアンとキャリー・フィッシャー(レーア姫です)らとの80年代ガールズ・トークは、その後に続く「セックス・アンド・ザ・シティ」の女子会ランチ(SATCでは朝食会)へと受け継がれていくシーンだ(ちょっとしかないけど)。
結果を言えば、主人公の2人は結婚するのだが、結局、カップルイコール最高の理解者、友人ということになるのだろうか。何度見ても楽しい映画だ。
ハリーが自分のベッドでのテクはすごくて女は満足する、みたいなことを言って、サリーが「ふりをしてるかもよ。女性にはそいうところがあるの」と反論。ハリーは「いや、本当におれに満足なんだ。おれはすごいんだ」と自信満々。で、この名シーンです。
2011年12月05日
「瑠璃色の地球」「真夏の果実」

もう昨日(12月4日)になるな、久しぶりにカラオケに行った。妹と一緒です。
私の家で「クラムチャウダー鍋」(いろんな鍋が今ありますね)を食べて、テレビを見ていたら妹が「ケーキが食べたい」と言い出した。私は「チョコサンデーみたいなのがいいな」。これだからこの姉妹は太るんだよ。
食後の運動も兼ねて楽市方面へ行く。私が住んでいるところは楽市の裏方面なんだけど、楽市までいくのにけっこう歩く。暗い道を歩きながら妹が「カラオケでもいいかな?」と言い出した。最近歌ってないな~と思っていた私はすぐにOK。近くの「ビッグ・エコー」に行く。妹のおごりです。ありがとう。
70、80年代の歌を中心に盛り上がる。私はタイトルの「瑠璃色の地球」「真夏の果実」ほか「青い瞳のステラ・・・」「ささやかなこの人生」「M」「赤いスイトピー」を歌った。最後の2曲は妹とデュエットで。
「ささやかな~」は初挑戦。歌詞がいいんだよね。「♪やさしかった恋人たちよ ささやかなこの人生を 喜びとか悲しみとかの 言葉で決めてほしくはない」。伊勢正三(この歌を作った人)、ぐっとくるフレーズを考えたね。
写真はテレサ・テンの「別れの予感」を歌っている妹です。テレサ・テンは「不倫3部作」を歌っているころ、紅白の常連だった。ある年は「アジアの歌姫」と紹介されていた。私は彼女の歌では「空港」が一番好きです。今度歌おうっと。
2011年12月04日
流行語大賞、忘れてはいけない言葉

TBSの「あっ子におまかせ」を見ながら、アップしています。芸能界のご意見番、ドンといわれる和田アキ子。芸能人の結婚、婚約のニュースがあると、自分は前から知ってたみたいなことをいつも言って「またかよ」と思うのだが、それだけ人脈があり慕われている(?)のだろう。
番組ではその週にあったニュースをダイジェストに見るのだが、今年の流行語大賞のところで、彼女は「大震災に関する言葉は流行語ではなく、覚えておかなきゃいけない言葉でしょ」と言っていた。まったく同感。
今年は震災関連の言葉が多く出てきたが、これが新語・流行語大賞にどう反映されるのだろうかという関心があった。多くの言葉が出てきたが、少し祭りっぽい「新語・流行語大賞」にはどうかと思ったのだが、震災関連は「帰宅難民」「絆」「3・11」「こだまでしょうか」「風評被害」が入った。無難だと思う。
私が今年気にいったのは、「がんばろう日本」。「がんばろう」なんてあんまり使いたくない言葉だったのだが、今年はズンと胸に来ましたね。まだまだ続く復興への道。「がんばろう日本」の声も続く。

ゴッドねえちゃんの言葉は影響力がある(?)
2011年12月03日
「女性宮家」検討? 遅いよ!

(里中満智子作:女性の天皇、持統天皇を描いた「天上の虹」より)
「女性宮家」が新聞をにぎわしている。現在、皇室には8人の女性の成年皇族がいる。皇位継承権の一位は秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(5歳)。
2004年、小泉純一郎が総理のときに「皇室典範に関する有識者会議」を開き、「女性天皇」の是非について話し合いを始めたが、翌年、秋篠宮妃殿下紀子さま(の執念?)が男児出産、「50年は安泰」と有識者会議はそこで終わった。
私は「小泉治世下」は日本にいなかったので、そのときの純一郎さんのリーダーシップというのをじかに感じることはできなかったのだが、「小泉改革」というものが現在につながる格差拡大の原因になったとかの批判は聞く。パフォーマンス・小泉が、もし「皇室典範」を改正し「女性も天皇になれる」という道を作っていたなら、それだけで彼は評価してもいいと思っていたのだが、紀子さんに男児が誕生した時点で「女性天皇」論議も消えてしまったのは残念だった。
そして今「女性宮家」が緊急課題。私がどうしても解せないのは、なぜ今なのかということだ。「皇位継承権の維持は国会安泰につながる」と藤村官房長官は会見で述べていたが、それならば関係者はどうしてこの女性皇族たちが10代のときから準備を始めていなかったのだろうか。将来を見据えて計画をたてるという国を司るのに基本的なことが日本は欠如している気がする。
女性の宮家はあってもいいと私は思うが、今、緊急を要する問題はたくさんある。震災復興、TPP・・・国民に直結するこの問題が大切ではないだろうか。
2011年11月30日
「めぐんでくだせぇ」、相場は?

写真:http://kohphotos.exblog.jp/15964359/より
今日、バイトからの帰り家の近くを歩いていたら、後ろから「あのー、お姉さん・・」と男性に声をかけられた。ちょうどT字になっているところの交差するあたりで声をかけられる前に私はこの人の姿は見ていた。
「あのー、怖がらないでください。私、こんなかっこうしているけど変なものではないんです」。この人のかっこうはジャージにスリッパ、傘を持っていた。天久の出身で6年ぶりに帰ってきたら、知り合いもいなくて・・・ということだが、そんな何十年ぶりに帰ってきたというわけでもないのに誰もいないなんてと思ったが、早い話しこの人が私に言いたかったのは「(金)をめぐんでくだせぇ」。
ポケットから1円玉を持った左手を広げてみせ「これぐらいしかないので、ほんとに申し訳ないのですが・・・」とお願いしてきた。私はかばんから財布を取り出し、300円を渡した。「これなら那覇市内バスで大丈夫ですよ」。彼は安謝あたりに行くみたいなことを言っていたのだ。58号線の方向を教えてあげたのだが、私があげたお金に喜びもしなければ、ありがとうも言わなかった。逆にちょっと落胆の色が出ていた。千円は期待していたのだろう。
いまどき300円で何ができるのだろうか。マックでコーヒー? ミスドでドーナッツ1個?考えればたくさん出てくると思うのだが、彼は300円を手に握ってとぼとぼと歩いていった。私の財布は金色で(金がたまるように)、いろんな店や病院のカードが入っていて、ぶっといのだ。肝心のお金はあまり入っていない。私の立派な財布を見て、男性は期待したかもしれない。こういうときの相場っていくらぐらいなのか。
こうやって求めてくる人はもらった額が余り少ないと感謝よりも怒りがくるらしい。
ハンガリーの国鉄の駅で国際列車を待っているときに物乞いに遭った。年老いた女性で、赤ちゃんの靴の片方を持って「めぐんでくだせぇ、めぐんでだせぇ」と駅のプラットホームを人の顔を見ながら歩いていた。
次はチェコに行く予定の私は、あまったハンガリーのお金を処分するのにいい機会だと思い、この女性が近くに来たときに財布を用意した。それを見た老女性は「あー、マドモアゼル、ありがとよ」と優しい声で話しかけてきた。そして私は持っていたお金を彼女に手渡した。彼女は自分の手に持ったお金を見たとたん、今まで涙目だったのに「きっ」と鬼のような形相になったのだ。「たったこれだけかい」と大きな声で私に怒った。
ハンガリーには1日だけの滞在で金の名前も価値も覚える時間がなかった私は、いったいいくら自分が彼女にあげたのかもわからなかった。私たちを見ていた同じベンチに座っていたマダムが少し笑みを浮かべて、自分のかばんから財布を出した。またここで老女性は「おお、マダム・・・」と涙目になり、彼女からのほどこしをもらい丁重に礼を言っていた。そして、また私のところへ来て「あげるなら、これぐらいは必要だよ」ともらったお金を見せたのだ。
老女性の感謝より「少ない」と怒ったことには驚いたが、涙目がすぐに鬼の目になったのもびっくり。国が変われば、物乞いの態度も変わるものなのだ。やっぱり、「相場」というのはあるのだろう。
※写真と文は関係ありません。
2011年11月27日
史宇さんの作陶展

栃木県那須烏山在の陶芸家、瀧田史宇さんの作陶展が11月26日から那覇市内のギャラリーサエラで開かれている。
何度もこのブログに書いているが、サエラのM夫妻は私の後見人(と勝手に決めている)で、当日にちょっとしたパーティをやるからと2,3週間前に誘われ、その日は仕事を休みにして楽しみに待っていた。
上の写真は展示会案内のはがきにも使われていたのだが、この美しい白磁の大壺は「震災」生き残りなのです。
3月11日、東日本大震災で栃木は震度6の揺れだった。その日の朝に窯から出してきた作品のひとつで、壊れたものが多かったなか、これは無事だった。「栃木の揺れもすごく、作品は壊れて作業場には3日入れなかったけど、津波被害に遭った人たちのことを考えれば僕たちは運がよかったですよ」と史宇さんは話していた。

展示している作品に持ってきた料理を入れて。こういうところにMさんのセンスが光る。私はブルゴーニュの白ワインを持っていった。酸味がありフルーティでおいしかった。ジミーで買った大根のわさびづけも白ワインと合いました。写真手前がわさびづけです。

2階から。NYのギャラリーみたい!? 行ったことないけど。

展示されている大皿に誰かが飲みかけのグラスを置いていました。
展示会は12月3日までです。
2011年11月24日
恩師を囲んで忘年会

11月22日に毎年恒例の高校3年時の担任を囲んでの忘年会があった。囲んだのは、M,S,そして私Kの「花のアラフィー独身娘」だ。
Y先生の御親戚がやっているという国際通りにあるホテルでいつも集まるのだが、今回は、予定の時間よりも早く出て、Sと近くのワインバーでいっぱいひっかけた(男じゃないよ)。シャンパンがグラス700円。おいしかった。1本だと高くてなかなか自腹を切って飲めないけど、こうやってグラス一杯だけ飲んでも幸福な気分になるな。ピノノワールのロゼももらった。これもおいしかった。Sちゃんと家族や体(健康には気をつけよう)の話をした。
いい気分になったところで、忘年会会場(個室)へ。Y先生は先にいらしていた。Mが少し遅れてきたが、あとはいつものように、沖縄、日本、世界、そして私たちの現在や未来の話である。Y先生は日本史の先生で、私たちが高校生のころは脂が乗っていてギラギラしていた。「鬼のY」と言われていたのだが、今は好々爺とまではいかなくても、昔に比べれば、おだやかな雰囲気だ。
民主党政権や八重山の教科書問題など先生の見解を聞いてなるほどと思った。とても充実した夜だった。私たちのラブの話になると、先生もあきらめているのか(あきれているのか)「もう聞かない」とすぐに話題を変えた。今年年女だった私たち。もうすぐ終わる。次の干支は・・・。いつも楽しく行こう!

Y先生の話を真剣な表情で聞いているMとS。高校時代もこんな風に熱心だった!?


