チャーチルの言葉ー映像の世紀から
1995年にNHKスペシャルで月一回で放送されていた「映像の世紀」。そのDVDを昨年末、3巻購入した(8巻まである)。20世紀の歴史を映像で見ていくというもので、放送直後からたいへんな反響があったようだ。
このシリーズの第2集は「大量殺戮の完成」というタイトルで第一次世界大戦の貴重なフィルムが見られる。1914年サラエボでのオーストリア・ハプスブルク帝国のフェルナンド皇太子夫妻の暗殺に端を発した第一次大戦は、始めは「クリスマスまでには帰れる」を合言葉に、欧州の若者たちは喜々として戦地へ赴いていった。フィルムによると、欧州は50年戦争から遠ざかっており、若者らにとって、国を背負って戦うことは非常に名誉なことに映ったのだろう。
この戦争は、「クリスマスまで」に帰れるどころか、クリスマスまでに、まだ本格的な戦闘もはじまっておらず、結局、1918年まで続いた。
くだくだ書くつもりはなかったが、この第2集は、最後に紹介されたこの文に尽きるのだ。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついにとられてしまった。アレクサンダーやシーザー、ナポレオンが兵士たちと危険を分かちあいながら馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する、そんなことはもうなくなった。
これからの英雄は安全で静かな事務室にいて、書記官たちに取り囲まれて座っている。一方、何千という兵士たちが電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。
やがてそれぞれの国には大規模で、際限ない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる。人類は初めて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。これこそが人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である」。
当時、イギリスの海軍大臣であったチャーチルの洞察力のある言葉である。
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