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桜坂

2015年06月01日

5月30日、久しぶりに桜坂劇場に映画を見に行った。「カフェ・ド・フロール」というカナダとフランスの映画。ヴァネッサ・パラディがよかったなーぐらいであまり意味がわからなかった。
で見終わって、平和通りを通って帰ろうと思い、劇場から出ると、左に巨大なビルが。もうすぐオープンするハイアットだ。多分このホテルのランチバイキングには行くと思うけど、周りのレトロチックな街並みは全然あわない。超モダン
(モダンなんて言葉もちと古いね)と懐かしさが一緒になったのがまた良い、と思う人がいるかもしれない。でも昭和の匂いがする桜坂が薄れてゆくとさみしーなーと思いながら平和通りの方へ下ってゆくと、ちょっとおしゃれな店が目に入った。「かりゆしコーヒー」という名前で、コーヒーとビールを置いているという。5月の頭にオー

プンしたというからまだ新品ホヤホヤ。朝10時に開いて夜中の2時まで。サンドイッチもあるそう。今度、コーヒーとサンドイッチ食べにこよう。
この店は平屋なので桜坂に合っている。高層ビルが、この区域にはあわないんだな。  


Posted by ダイアン・M at 15:08Comments(0)まちかど

6年生まで一緒に帰ろうって

2015年05月12日

わりあい静かだった台風6号。午前中、少し遠出して、前島のローソンまで買い物に行った。家に戻るころには、近くの小学校の1年生たちがとぼとぼ歩いてそれぞれの家路についていた。台風で学校が休みになるのは、ほんとにうれしかったけど、小学生になってやっと一カ月の子どもたちには、通学のほうがよかっただろうな。
私が自分のアパートの近くに来たとき、前を歩いていた女の子が大きい声で、先を歩いている男の子を呼んでいた。「あきとくーん、あきとくーん」。少し前に別の女の子が、そしてずっと先に男の子らしき人物が見える。この子が「あきとくん」か。その名を呼び続けていた女の子はさらに大きな声で「6年生までいつも一緒に帰ろうって言ったじゃない。自分から言っておいて、もう約束破るのー」とその子に言う。すごいなー。その男の子の「6年生まで〜」という〝くどき文句〟。まだ小学校生活は始まったばかり。女の子は早くも男の無責任な言葉につらい思いをしたか。明日は一緒に帰れたらいいね。  


Posted by ダイアン・M at 17:38Comments(0)まちかど

ブルーベリーとラズベリーと

2015年04月27日



バニラのアイクリームに、冷凍のブルーベリーとラズベリーを添えてのデザート。フランスにいたときに、ある方の家に招待されたとき、こんな感じで出てきたのだ。素敵だなーと思った。簡単だけどおしやれ。そして、おいしい  


Posted by ダイアン・M at 18:20Comments(0)私事

はとこ会

2015年03月23日

 もう2週間前になるけど、母方のはとこたち、女子を家へ招待した。母の85歳になるいとこの方のお祝いをいとこの女子だけで開くというので、その子の世代になる私たちも集まろうということになった。9人が来ました。
 私の母方のいとこは20歳以上も年が離れていて、自分の子どもといってもいいくらい。彼女彼らが生まれたときには、私はすでに社会人だった。この日集まったはとこも私と同世代はいないが、アラフォーも何人かいて、大人の会話ができ、楽しかった。ちなみにこの日の最年少は8歳、上は私、51歳。
 
 私たちは、長嶺栄善・雅子という夫婦を曾祖父母に持ち、その子どもたちがきょうだいで、私たちの祖父、祖母にあたる。栄善・雅子には子が7人いて、長男が戦死したほか、皆80歳以上生き、現在次男、五男の二人が健在だ。

 この日は、私は朝早くから起きて準備しましたよ。人を家に呼ぶのって好き。おいしいものを食べ、楽しいおしゃべり。気持ちが豊かになるね。親戚の若い子たちの感性に触れて、充実した1日でした。
 


  


Posted by ダイアン・M at 11:02Comments(0)イベント私事

タチコの誕生日

2015年02月17日

2月13日は母の誕生日。その二日後の日曜日、15日に、那覇市内の魚介類専門のグッドオーシャンバーという店で祝った。
母はここ数年、何度も「ブイヤーベースが食べたい」と言っていたので、食べさせてくれるレストランを探した。この日、やっと悲願がかなったわけ。
 



 両親、妹、私の4人で、ブイヤーベースや生牡蠣、金目鯛(の仲間だったけど)のアクアパッツァをスパークリング、白、赤ワインで味わった。
旅の話で盛り上がったな。これまで両親と行った国や、それぞれが行った場所の思い出話がたくさん出てきた。両親をあと一回ヨーロッパに連れていきたいと思っているが、いつになるやら。でもあと4、5年のうちだな。次はどこに、あるいはどうしても行きたいところはなどと聞きながら、BSNHKの「世界の街歩き」の話題になり、「あれはいい番組だ。見ていると行った気分になるね」と両親は話していた。

 デザートはレモンのシャーベット。誕生日の人にチョコクリームたっぷりのガトーショコラがついていた。お皿に名前がチョコで書かれていたが、それが「タチコ」。母の名は幸子、サチコです。
 


  


Posted by ダイアン・M at 15:40Comments(0)私事

バレンタイン

2015年02月15日




 昨日のバレンタイン、妹からもらったチコレートです。かわいい。食べるのがもったいないと思ったけど、すぐに食べちゃった。
今年もお世話になったお友達(全員女子)に配りました。人にものをあげるのって楽しいんだよね。喜ぶ顔を見るのがうれしいー。

 パレットのショコラガーデンで買ったけど、早めに行ったので、けっこういいのが選べたと思う。
そのショコラガーデンにイタリアジェラードの店の出店されてて、ショコラ・オレンジ、ピスタチオやバニラなど3色のアイスなどおいしかった。
2フレーバーで500円。満足。期間中、3回通いました。イタリアフェアのときにまた出店するそうです。




 このジェラードがおいしかったの。苦味、甘さ、そして濃くがあって、イタリア人の人生(?)みたい。

  


Posted by ダイアン・M at 15:29Comments(0)イベント

三回忌

2015年02月01日

 なんと長いこと、ブログをなまけていたのだろう。今年からはちゃんとしようと心に決めたにもかかわらず、
はや一ヶ月が経ってしまった。2月から頑張ります。
 
 早いもので、いとこがなくなって今日で2年目。三回忌にあたるが、昨日、一足早く、父と妹と私の三人で線香をあげに名護に行った。
当日は仕事でいけないからと知らせていたので、叔父(父の兄)といとこの娘がお茶とお菓子を準備して待っていてくれた。叔父が父に
「明日が三回忌なので、今日は何も出せないよ」(叔父)、「いやー、うったー(私と妹)があちゃーは仕事だから来れないから一緒に来たよ」(ちち)、「おまえは明日は来ないの。もしかして、もう運転は無理ねー」(叔父)と老兄弟のあいさつがわりのおしゃべりと聞きながら、いとこの家に入った。 
 いとこが亡くなったとき中三だった娘ちゃんは4月からは高校三年生だ。進路や老いた祖父母のことなどいろいろ話をした。いとこが亡くなったときには、年齢よりも幼い感じがしたが、昨日話をしてとてもしっかりしているなと思った。

 帰りに、いとこの妹のEが経営している高齢者の施設をのぞいた。そこにはいとこの叔母がデイサービスで通っている。耳が遠くなった叔母はA4サイズのホワイトボードを持っていて、それに私が今日来た理由を書いた。「明日の三回忌には来れないので」。叔母はそれを見て、胸に手をあて、「はー」と声を出し頭を下げた。話の好きな人なので、おしゃべりしたいことがたくさんあるだろうが、今は話すのもままならず、口を動かし、手を動かし、思いを伝えようとしていた。私たち3人を乗せた車が施設の敷地内を出るまで、入口の戸を少し開けて顔を覗かせて見送っていた。
 
  


Posted by ダイアン・M at 15:23Comments(0)

時代小説

2014年04月30日




 この2、3カ月時代小説にはまりまくっている。もともと好きだったのだが、池波正太郎はもちろん、平岩弓枝、藤沢周平、諸田玲子、宇江佐真理などの江戸情緒あふれる本の世界にひたりまくっている。図書館にいけばたくさんあり、もう、どうにもとまらない。藤沢周平の下級武士の日々の生活描写、諸田玲子のリズム感あふれる文章、体の熱くなるほどの性表現、それぞれ特色がありいいなあ。
 今、ちょっとこの物語のことを誰かと話したいーととっても思うのが、宇江佐真理の「髪結い伊三次」シリーズだ。文庫本を一冊もってるだけであとは図書館から借りて読んでいるが、全シリーズはまだ読破していない。伊三次シリーズについていずれ書きます。

 私はいつも牧志駅前ほしぞら図書館を利用しているのだが、GWはお休みということで、今日、8冊借りてきた。
 「江戸の虹」(山手樹一郎)、「火盗殺し」「札差殺し」(小杉健治)、「泣きの銀次」「虚ろ舟(泣きの銀次参之章)」(宇江佐真理)、「間諜」(杉本章子)、「空っ風」(諸田玲子)、そして藤沢修平の「天保悪党伝」だ。山手と小杉、杉本には初挑戦だ。いつもはだいたい4、5冊借りて、2週間の貸出期限なのに、1週間以内で返すので、図書館の人には「このおばさん、すぐに返していったい何してる人?」と思われているかもしれない。

 先日は、平岩弓枝のかわせみシリーズ「源太郎の初恋」を借りて久しぶりに読んだ。主人公のるいと東吾に待望の子ども・千春誕生の巻である。これも何回目か読み返すがいいなあ。東吾とるいは時代小説のベストカップルだと思う。

 さて、今日借りてきた本は何日で読み終えるだろうか。じっくりと江戸(あるいはそれ以前)を楽しみたい。  


Posted by ダイアン・M at 15:22Comments(0)私の本棚

ボレロ、トービル&ディーン組

2014年03月17日


 今年のソチ五輪、女子フィギュアで銅メダルを取ったイタリアのカロリーヌ・コストナーのフリー「ボレロ」は大人の女性の情感あふれる演技で美しかった。ラベルの繊細なメロディーに乗り、コストナーはイタリア女の優雅さ、そして時々たくましさも見せて、見事初メダル獲得である。
 フィギュアでの「ボレロ」といえば、ファンには1980年代、氷上の名優といわれたイギリスのアイスダンス、ジェーン・トービル&クリストファー・ディーンである。84年のサラエボ五輪でジャッジ全員が6点満点を出した伝説の演技。当時、私は大学生だったが、テレビを見てなんともいえない表現力に「ふー」とため息をもらしたものだ。

 上の画像は10年後のノルウェーで開かれたリレハンメル五輪での演技。彼らは久しぶりに出て銅メダルを取った。エキシビションでこの「ボレロ」を披露した。この画像には映ってないが、演技終了後に、客席のファンたち9人がが6・0」と書いた紙をかかげ、サラエボを思い出させるパフォーマンスがあった。今年、冬季五輪があったのでYouTubeで探した画像だが、94年だから20年前のものだ。それでも色あせない。やっぱりため息が出た。氷上での「愛し合う行為」という感じだ。
 トービル、ディーンは現在、プロアイススケーターとして活躍。「ボレロ」現代版を見たが(もちろんYouTubeで)、娯楽性いっぱいでした。ディーンはその優しいイケメンぶりは変わらないが、トービルはたくましい女性になっています。  


Posted by ダイアン・M at 14:22Comments(0)トピックス

東日本大震災

2014年03月12日

 大震災の映像を見るたびに気になっていることがある。3年前、大震災の3、4日後だっただろうか、NHKのニュースは震災一色であったが、その中で息子を探している夫婦が出ていた。岩手だったが宮城だったかは忘れたが、郵便局に勤める息子と3月11日以降、連絡が取れていないと息子の消息をたどっていた。両親とも60代だろうか、息子の名前を大きな声で叫びながら、がれきでいっぱいの集落、ものが散乱した建物の中を必死に探していた。その息子は見つかっただろうか。

 昨年決まった2020年東京五輪は「復興五輪」とも呼ばれているらしいが、この五輪が実は東北の「復興」を阻むものになりそうという報道があった。五輪工事に建設作業員が流れ、復興作業が遅れるのではとの懸念があるためだ。経済が順調というが、中央と東北とのギャップは大きい。

 昨日(3月11日)、NHKスペシャルで「あの日生まれた命」という番組があった。2011年3月11日に生まれた子どもたちを何人か紹介していた。その番組は仕事をしながら、見、聞きしたのだが、改めて「命」というものを考えさせられた。子の親たちは、新しい命の誕生を喜びながらも、同じ日、一瞬でたくさんの命が亡くなったという重みにが心に残っているようだった。
 
 あれだけの経験、東北の人でなくても、あれだけの映像を見た私たちは、復興が東北人のことだけでなく、日本人のこととしてとらえていかなくてはと思う。東北に「花」は咲いているようにも思えるが、早く大輪の花が広がるように、私にできることをしていきたい。
 
 

   


Posted by ダイアン・M at 12:15Comments(0)トピックス

「おとこの秘図」

2014年02月19日




  今、現在自分が頭の中で考えていることを偶然にテレビや活字で見たり、またテレビで見たり本で読んだりしたものが偶然に人との会話で話題になったりすることってないだろうか。私はけっこうそういうことがあって、印象に残っているのは、パリにいたころ、新しく来たルームメートとのこと。彼女の名前は「ベレニス」。私はそれまでその名前を聞いたことがなかったので、「初めて聞く名前。フランスでは多いの?」と彼女にたずねると「ラシーヌの作品に出てくる」と教えてくれた。私はちょうどそのころ、サガンを読んでいたのだが、そのベレニスの翌日、サガンの物語の中に「ベレニス」という文字が出てきて、「ラシーヌの~」とあったので、私はギャーと叫び、ルームメートのベレニスに「あなたから昨日聞いたことがここに書かれてるー」と興奮して言った。

 で、今日。今、読んでいる池波正太郎の「おとこの秘図」がテレビで紹介されていた。本も読み、テレビもつけているのでパっと顔をあげると
本の表紙が写っていて、そして同じもが自分の手元にもあって不思議な気がした。池波正太郎は「食」の描写も素晴らしく、読むたびに私はよだれが出そうになるが、番組では「おとこの秘図」の中の食事を再現しているものだった。しかし、読んでいる本と、テレビで取り上げられた本が一緒、ということに興奮してしまった。

 五輪真っ最中。今夜、浅田真央登場。バンクーバー五輪の総集編を見て涙が出た。真央ちゃん、悔いのにように舞って。  


Posted by ダイアン・M at 14:39Comments(1)私の本棚テレビっ子

世界の5番、6番

2014年02月11日

 昨日のソチ五輪、スピードスケート男子500mは残念だった。長島圭一郎、期待していたのになあ。1回目が終わった時点で3位。
これはいけるとと思ったのに2回目がイマイチで総合で6位でした。金メダル狙いだったのに。結果は6位。五輪ファンの私は若いころは
やっぱりメダルじゃないとなあと思っていたのだが(それにこしたことはないが)、今は入賞でもすごいと思えるようになった。世界の6番だよ。
同僚の加藤条治は5位。すごいじゃないか。2人は1000mにも出るのだろうか。もし出るとすればこの種目では(2人は)注目されていないので、気楽に滑り、案外いいところまでいくかもしれない?!いや、世界は甘くないか。
 それにしても今回の五輪、メダルなかなか取れないなー。  


Posted by ダイアン・M at 14:21Comments(0)

虹と雪のバラード

2014年02月07日



 今日(7日)の深夜、フィギア団体のショートプログラムを見た。男子は、ロシアのプルシェンコの美しさと威厳に圧倒されたが、なんといっても我らが羽生の演技は「ブラボー」とスタンディングオベーションをしたい気持ちだった。カナダのパトリック・チャンは緊張しているかな。地味だったな。フランスのフローランは高橋大輔に似ている・・・といろいろ思いながら、ソチ五輪観戦が始まりました。開会式は8日の深夜、起きてみるぞー。また眠らない日が続く。

 上の動画は、1972年に日本で初めて行われた冬季五輪、札幌大会。その時のオフィシャルソング(というのかな)が当時の人気デュオトワ・エ・モアが歌った「虹と雪のバラード」。札幌五輪は私が小学校2年生のときに行われたが、それから4年後の6年生になったときに、私はこのレコードを求めて近くの店に行った。もう店にはなかったので取り寄せてもらった。「生まれ変わるサッポロの地に・・・」。札幌がカタカナで書かれているのが印象的だ。  


Posted by ダイアン・M at 11:54Comments(0)イベント

ことしは春から・・・

2014年01月27日

 2014年、1月もはや27日。「ことしは春から・・・」は普通、「なんかいいことがあるかもしんない」という
ニュアンスを含んでいると思うが、私の場合はそうではなく「・・・?、ついてねえなー」がけっこう続いている。
全部、自分の大雑把さ、ルーズさが原因なのだが。

 まず、昨年秋に新しいヴィザカードが届いたが、最近カードはめったに使わないので、そのままにしておいた。
でもそろそろ、新しいのを財布にいれようと思って、おそらく「ここに置いた」と思われる場所を探したが、ない、ない、ない。
年末の大掃除のときにいらない封書類と一緒に捨てたのかなあとあきらめていたら、数日前に出てきた。ラッキ!。

 昨年末、キャラメルを食べていたら、夏頃に歯につめたものが取れてしまった。ちょうど、歯のクリーニングが近づいているので
これも一緒にまた詰め直しもらおうと、ティッシュにくるんで棚に置いておいた。で、先日、「多分そこに置いたよなー」と思うところを見ると
ない、ない、ない。これは、ほんとに大掃除のときに、使ったティッシュと思って捨てたかもしれない。出てきてない。また新しく作ってもらわなければ。金もないのに、金のかかることばかりするあたし。

 で、昨日。琉球新報のサイエンスクラブの発表会を見に行った。昨年夏まで広告にいてその取材をしていたのだが、小、中の取材をした
研究者たちの成果を楽しみにしていた。みんなにも久しぶりに会えるなーと。お昼ごろに泉崎の新報ホールに行く。新報ビルの入口両はしには、その日の催し物を告知するのだが、マラソン出場者募集の告知だけ。それに、あまり人が行き交う様子もない。もしかして天久の新報ホールで開催だっけ。
 守衛のおじさんに聞くと「サイエンスクラブ、あったよ、あった。昨日だね。今日も片付けかなあ、入ってるけど」。えー、昨日だったの、私、日付を間違えた。ショックというより力が抜けた。帰りにパレットに行き、「これは手ぶらでは帰れないワイ」とサンドイッチを買った。

 ほんとに残念。時間の確認で新聞を見たけど、日にちはてっきり「日曜日」と思っていた。取材した子たちの発表見たかったのに・・・。
でも、昨日は、その後の大相撲初場所、パリの古いアパルトマンを改築した「ビフォー・アフター」を見て、よるにはすっかり力が抜けたことも
忘れてしまっていた。人間は忘れるようにできている。これはいいことだそうです。  


Posted by ダイアン・M at 15:20Comments(0)私事

ことしも終わり

2013年12月31日

 今日は大晦日。ことしもブログを書くのをなまけてしまうことが多かった。この前が11月中旬。12月は今日が最初で最後。いけない、いけない(この言葉を何度使ったか)。

 知事の辺野古容認、首相の秘密保護法、靖国参拝と、全然いいことのない年末だ。公約を簡単に翻す政治家も政治家だが、そういう人を選ぶのはもうやめよう。いくら金を積まれても、そういうのに目がくらむことなく、個人の誇りは持ち続けたい。来年は沖縄は大きな選挙がある。毎回だが、沖縄の未来を決める大切な選挙、しかし、来年の名護市長選、沖縄知事選はほんとうに島の命がかかっている。

 来年は、今の時代を新たな戦前にしないために、個人としてできることをしていく。とりあえずは集会に参加することだろうか。

 ことしは、自分と同世代の身内、友人、知人が亡くなり、健康の大切さを痛感。そして、絶対に親より先には死ねないと思った。結婚もしていない私、孫の顔も見せられなかった私、悲しい思いはさせたくない。

 新しい年は、ロトでも買ってみようかと思っている。あと、小説などの公募にも送ってみようかとも。

 9月から人事移動で新しところに移り、後半はちょっと気持ちは灰色の空という感じが続いていた。来年は、気が引き締まる冬の青空、夏のどこまでも続く青空のように、はつらつさを持続させたい。

 何よりも、体を大切に。そして、いいかげんに、いい人見つけて親を安心させようかとも思っています。  


Posted by ダイアン・M at 12:43Comments(0)私事

くちべに挽歌、島倉千代子

2013年11月11日


 先日亡くなった島倉千代子さんの歌で私が好きなのは、よくカラオケで歌う「東京だよおっかさん」もあるが、もうひとつ切なくなるくらいいいのが「くちべに挽歌」(詞:石本美由起、曲:浜圭介)だ。
 この歌は、1986年の紅白歌合戦のときに知った。歌詞がいい。特に2番の出だし「添えないならば 死にたいと~」。
 当時、大学4年生の私は、ひとつ年下の彼がいてぼんやりと2人の将来を考えていた。年が明けたら私は卒業し、春から地元の新聞社への就職が決まっていた。彼は他県の人で沖縄で就職してくれることなんてないだろう(一応、考えてはいたらしい)。結婚するなら彼しかいないと、若さゆえの「大いなる」錯覚をしていた。私が東京に残る選択肢もあったはずだが、私は文章を書く仕事がしたくて、地元の新聞社が第一希望だった。希望の会社に就職できる喜び、しかし、結婚したい彼とは将来がわからない。島倉千代子の歌うこの「くちべに挽歌」に、ふたりの先のことを重ね合わせて胸がぐっとなった。そんな思い出の、いい歌です。  


Posted by ダイアン・M at 01:20Comments(0)今日の音楽

昨日の夢

2013年10月29日

 昨日見た夢、忘れないうちに残しておこう。

 私がフランスにいるという設定。
 休みが終わり日本から住んでいるパリ13区に戻った。最寄りの地下鉄6番線「NATIONAL」(ナシオナル)の駅からはそう、遠くはないが、タクシーに乗った。住所を運転手に言う。駅からまっすぐ行けばアパートなのに、彼は左の方向に車を走らせた。「ま、大きい道を通るからいいか」と思ってそのままにしていた。
 で、いつの間にかタクシーから降りていて、タクシーの運ちゃんも一緒に、大きな建物に入った。

 「ここが近道だよ」と彼が教えてくれる。公民館みたいなところで、たくさんの人がいて、中庭みたいなところでダンスをしていたり、教室みたいなところでものを作ったりしていた。私とこの運ちゃんは、ようやく出口を見つけ、外にでた。
 
 外に出てぼんやりと覚えている道があった。ここをまっすぐいけば、アパートに着くなあと思っていたらバスが来た。運ちゃんが「あれに乗れば?」と聞いてきたが、「いや、もう歩いていけるから大丈夫」と私は答え、彼とは別れた。

 石を敷き詰めた細いちょっと坂になっている道を歩いていく。そうすると道に散らばったチラシが目に入る。「TATI」のチラシだ。雑貨、衣料品が安く、あのマドンナも好きということで有名な店だ。「へー、ウチの近くにもできたんだ」と思いながら、私は上着のポケットに手を入れる。自分の家が近づくとくせで鍵を確認するのだ。

 でも、ない、「え、うっそー、まさか、日本に鍵は置いてきたのかしら、せっかくここまで来たのに」とあせる私。そしてすぐに現実に帰る。

 私はもうフランスを引き払って日本に住んでいる、もうあのアパートの鍵なんかないんだよ(というオチ)。

 今、すごく、パリに行きたい。  


Posted by ダイアン・M at 12:05Comments(2)パリ日記私事

富士日記

2013年10月21日



 大好きな作家のひとりである武田百合子の「富士日記」を紹介する。何度も読んだ日記だ。
 夫である作家の泰淳との山荘(山梨の富士山が見えるところ)での日々を記した作品。その日食べたものや、買ったもの、起こったニュースなども記されており、昭和がまだ元気だったころの「生活誌」としても面白い。
 
 日記(上)は昭和39年から41年までの記録。百合子らは普段は東京の赤坂で暮らし、週末や夏、年始年末を山荘で過ごす。山への行く道筋に、高速道路など大きな道ができてそこを百合子が車を運転していくのだが、そういう描写に39年の五輪で、日本のインフラが整ってきた、高度成長という言葉が頭の中でちらちらしていた。

 日記(中)。昭和43年の夏には、高校野球で興南のことが出てくる。42ねは妹の生まれた年で日記を読みながら、幼い私、若い父母を思い浮かべる。私も4~5歳ごろ。私ってジコチューというか、家族にとらわれているというか、記された日付を見て、どうしても自分の身辺と結びつけてしまう。この作品を読め、ちゃんと読め(と心の中で自分に呼びかける)。

 日記(下)。昭和45年10月19日、「淡いクリーム色の空に銀ねず色の刷毛ではいたような雲。その下に紫がかったバラの色の雲。その下に淡いピンクの雲。それが陽が落ちてゆくにつれ、紫がかった雲は全くのバラ色に、ピンクの雲は淡い朱色に、銀ねずの雲は薄墨色に、移り変わってゆく~」、こんな色のグラディエーションの描写にユーミンの「挽夏」の歌詞を思い出した。またユーミンの「夜間飛行」をイメージするところもあった。
 また、いつか読み返すと思う。  


Posted by ダイアン・M at 11:48Comments(0)私の本棚

ツインピークス

2013年10月11日



 懐かしの「ツインピークス」。1991年ごろ、はまりました。アメリカの人気ドラマ。不思議なミステリー。当時、ビデオを借りてきて見てました。20年たつと記憶もあやふやで、カフェの美しい経営者は覚えてたけど、彼女の恋人は忘れてた。また、そのカフェで働く若い女性の夫がすごく暴力的だということは覚えていた。マイケル・オンキートン(保安官役)が出ていたなんてすっかり忘れていた。準主役なのに。その彼女役に東洋系の女優がいたのも忘れてた。リチャード・ベイマーは亡くなったローラの父親役の人かと思っていた。「ツインピークス」は、ワシントン州が舞台というだけでうれしくなった。州内にあるシアトルは私の思い出の町なので。また、このドラマがはやっていたころは、個人的にも仕事、私生活も充実していて、楽しかったころの自分を思い出す。



 「ツインピークス」といえばカイル・マクラクラン。端正な横顔。いつも「ダイアン~」とテープに自分のしたこと、見たことを吹き込んでいたけど、今なら携帯(スマホ)ですぐ電話するんだろうな。カイルは、90年代後半にもうひとつのビッグ・ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」にもシャーロットの恋人役で出ていた。「ツインピークス」でもそうだが、育ち、性格のいい仕事の出来る素敵な人という感じだ。「セックス~」のカイルは、中年の渋さが加わってますますいい男になっていたけど、不妊治療にのめりこむシャーロットに引いてしまって別れることになる。しかし、離婚後も大人の分別のある対応でした。



 そして「ツインピークス」といえばドーナッツも。今回、ミスドを買ってきて食べながら見ました。  


Posted by ダイアン・M at 14:05Comments(0)DVD劇場

100歳あやかり訪問

2013年09月16日



 敬老の日の前日、川上好久副知事が「百歳あやかり訪問」の行事で、名護の祖父宅に来た。ここ数年、「元気な高齢者」ということで、数回メディアに登場している祖父だが、「副知事」という県の高い位置にある人が自分を訪ねてくるということで、非常に興奮していたらしい。朝、起きて、同居している叔母に「いよいよ今日だね」と意気込みながら話していたという。写真は最後にみんなで記念撮影したもの。

 

副知事が賞状を渡して祖父と握手をしたが、その手の力強さに驚き「とても元気ですね。百歳の握力じゃないですよ」となかなか手を離そうとしなかった。


10月10日が祖父の誕生日だが、1カ月早く「ハッピーバースデー」をみんなで祝った。大きなケーキを前に誕生日の歌を歌う。副知事も子供のように楽しそうな表情だ。


古典芸能安冨祖流師範の妹が「かぎやで風」を歌い祝いに花を添えた。祖父もこれには大喜び。
この日は集落の区長さんや近所の人たちも祖父の家に集まった。80代の女性が多かったが、「ここに県の偉い人が来るなんて信じられない」とまるで自分のことのように喜んでいた。また、サーターアンダギーや手作りオードブルの差し入れもあり、みんなで「あやかり訪問」を祝った。この集落の人たちは祖父のカジマヤーの祝いにも協力してくれて、ほんとに感謝です。みなさんにもあやかりたい。  


Posted by ダイアン・M at 12:27Comments(0)私事