「雨あがりの夜空に」・・・入院日記③

2009年05月10日

「雨あがりの夜空に」・・・入院日記③


 5月1日の朝、主治医が回診に来たときに「土曜日に清算して、月曜日退院」とおっしゃってくれた。最初から入院は一週間といわれていたが、はっきりと「シャバ」に出られることがわかるとうれしくなった。
 外出はOKなので、ひと駅前のジャスコにお金をおろしに行く。
 私は「がん保険」に入っていないので、入院、手術費用が一番気がかりだったのだが、高額治療を申請すると、数か月後に負担分が戻ってくることを知って安心。でも、入院前にもっといいことを聞いた。病院の窓口の方が限度額認定のことを教えてくれたのだ。これは、負担分を最初から払わなくてもいいもので、それには事前に全国健康保険協会(おきでんビル内にあります)で申請をしておく必要がある。そこで認定証がもらえる。その用意をhしていたので、当初、思っていたよりもずいぶん安い費用で済んだ。経験しないとわからないことがいっぱいある、ことをつくづく思った。

 ジャスコには気分転換に何度か足を運んだ。見舞いに来てくれた両親ともジャスコ内のスタバで久々にお茶をした。この2人にはずーっと心配をかけっぱなしである。感謝しても感謝しきれないが、それをうまく言い表すことのできない私はまだ、幼い娘である。

 土曜の午後に、乳がん手術をした患者用のブラジャーについての説明があった。入院したときに手術をする人は、手術する側に胸をあてるような変形ブラをもらい、私はそれをずっと着用していた。担当の看護士は、ワイヤー入りは避けること、形が気になる人は、パットを手術hしたところにあてて形を整える、とアドバイスしてくれた。スポーツタイプのブラでもいいというので、翌日、さっそくジャスコに買いに行った。

 この日の夜遅く、安住とたけしの報道番組を見ていたら、終わりごろに「忌野清志郎死去」のニュースが入ってきた。ちょうどこの日の一週間前に、職場の飲み会二次会でカラオケに行き、「雨あがりの夜空に」を歌った人がいて、「こんな夜におまえに乗れないなんて~」とみんなで大合唱したのだ。
 彼は喉頭がんで、彼の「命」である声を失うことになる手術はせずに、別の方法でがんの治療をしていたらしい。日本の歌い手には珍しく、社会的な内容を含んだ歌をさらっと歌うロッカーだった。60代、70代のキヨシローの歌い方、生き方を見たかった。
「雨あがりの夜空に」は大学時代の彼がよく歌っていた思い出の歌だ。この日からしばらく、この歌と「い・け・な・いルージュマジック」が頭の中でリフレインしていた。

 4日、月曜日の朝退院。ゴールデンウィーク中なので、患者も少なく病棟も静かだった。残っている人たちにあいさつをして病院を出た。
 5月中旬に病理の結果が出て、私の治療法が決まる。初期の初期にがんが見つかり、また主治医が乳がん治療の第一人者であるという幸運に感謝し、治療を”こなして”いきたい。主治医にいつもいわれているのは「太りすぎないこと」「肉をあまり食べない」である。この2点を注意し、食生活に気を遣いすぎずに、日々生活していきたい。いつも楽しく!


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Posted by ダイアン・M at 10:37│Comments(0)私事
 
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