やっぱりさびしいね

2010年11月15日

 今日は休みだったので、久しぶりに実家で夕食を食べた。
 母が、昨日の祖母の五七日(ごなんか、いつなんかと言うのかしら)に80人ぐらい来ていたと言っていた。
 「しんじゅうくにちには、200人ぐらい来るかもね」。祖母は10月8日に亡くなった。
 ごはんを食べながら母は「やっぱり、おばあちゃんがいないとさびしいねー」と、ぽつんともらした。もう、目の周りが赤くなっている。「おじいちゃんなんか、しょっちゅう、なだぐるぐるーしているさ」。私も、じわっとしてきた。

 「特に、Kちゃん見るとね」。私は言った。KちゃんはいとこのRの娘で9月9日に生まれた。母も「だからよー。ちょうど一カ月後に亡くなったからねー。(祖母に)写真は見せたけどね」。

 一カ月重なっているけど、生まれ変わりというか、命のバトンタッチというか。うまい具合にできているなと思った。母がいうには、私が生まれた一カ月後に、母の祖母が亡くなったという。そういえば、父方の祖母も、ひ孫の一人が生まれて間もなく亡くなった。

 Kちゃんは祖母にとっての初ひ孫。子供が大好きだったから、元気だったらとっても喜んでいただろう。想像すると楽しいし、泣きそうになる。祖母のことを思って時々涙を見せる祖父もKちゃんが来ると、1時間でも2時間でも抱っこして、みんなから「うんじゅ、もう休んで」と心配されている。

 Kちゃんを見ると不思議な気がする。この子がいて祖母がいない。小さな顔をのぞいて「あんたよ、大きいおばあちゃん知らないだね」とほっぺたをつんつんつんとつつきながら、心の中で言う。言葉にすると声がつまってしまうから。

 こないだ会社でトイレに入っているときに、ふと祖母を思い出し泣いてしまった。この年になって初めて近しい人を亡くした。
やっぱりさびしい。他の人も肉親を亡くした時は、こうしてふと思い出し泣いているのだろうと思った。そういう悲しみを持ちながらみんな毎日の生活を頑張って続けているんだなと思った。

 祖母は私がフランスから帰ってきてからは、ほとんど入退院の繰り返しだった。もう、痴呆も入っていたので、昔の面白いおばあちゃんの面影はなかったが、それでも私にはその面白かった印象が強く残っている。考えてみれば、両親と祖父母に見守られて、幸福な少女の時を私は送っていたのかもしれない。祖母の死で、小さな時の思いでがかけがえのないものになった気がする。

 
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Posted by ダイアン・M at 23:40│Comments(1)私事
この記事へのコメント
ダイアンちゃん、ご無沙汰している間に色々あったのね。お疲れさま。
おばあ様、ひ孫の子って、大往生だったのね。でも悲しいね。
身内の死って、時間が心を助けてくれるわ。
 
私は母の死を消化するのに5年かかったもの。
実家から送られてくる「さーたーあんだぎぃー」が母ではなく妹の手作りになって
「そっか、母はいないんだ」って。 
 
お正月過ぎに帰省します。夏に手術したんで、寒い東京から逃げて1月滞在予定。
私の運転でドライブしよ。
Posted by RIKO at 2010年11月17日 14:11
 
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