二十四の瞳

2013年06月23日

 昨日(6月22日)、bsで「二十四の瞳」を見た。何度が映画、テレビ化されているが、私が見たのは、木下恵介監督、高峰秀子主演の1954年作である。戦争が終わってまだ9年後。当時の人々には戦争はまだ生々しい記憶として残っていたかもしれない。

 緑ゆたかな島の風景の中に、子どもたちの「せんせい~」というかわいい声が響く。平和でのどかな人々の生活が画面を通して伝わってくる。しかし、世界恐慌(1929年)の影響や、確実に軍靴の響きが小さな島にもこつこつと近づいてくることがわかる。大石先生の教え子12人の内、男子5人は戦場に行き、生きて帰ってきたのは2人。女子は7人のうち1人が亡くなった。また大石先生の家族も夫(なんと天本英世が演じいる。もう故人だが、仮面ライダーの悪役など有名。特異な風貌の俳優だった)、末娘が終戦直後の栄養不良で死ぬ。
 
 生徒たちの出征風景、そして家族が遺影をかかえてもどってくるシーンを見ていると、「戦争」とそれを遂行することを決めた「国家」がいかに普通の人々の生活を無視し、自分たちの利益のみで政治を行っているかということに腹がたってくる。これは21世紀になっても変わらない。あの戦争で多くの命が失われ、そしてその家族たちの思い描いていた人生も大きく変わった。

 大石先生は、軍国教育についていけずに教師をやめるのだが、現実には多くの教員は子どもたち、特に男子を奮い立て「国のために頑張れ」と戦場に送り出した(戦後、その反省から出てきた日教組のスローガン「教え子を戦場に送るな」は素晴らしい「コピー」だと思う)。

 劇的なシーンはないが、出演者の慟哭に近い「泣き」のシーンが多く、画面を見ながら一緒に泣いた。BGMの童謡や文部省歌もよく、これもまた涙を誘った(随所に私の好きな「アニー・ローリー」が流れていた)。
 
 「二十四の瞳」は、以前、NHKが毎日午後6時から放送していた「少年テレビ小説」の中で見たことがあった。戦争に行って目をやられ盲目になるソンキやアルマイトのお弁当箱は印象に残っている。

 今日、23日は慰霊の日。国からソーリの他に、外務大臣、防衛大臣もくるというけど、「辺野古」説得ではなく、多くの戦争体験者からその体験談を聴いてほしいわ。そして、「二十四の瞳」を見よ。その根底に流れる「戦争反対」を受け止めよ。

 


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Posted by ダイアン・M at 08:34│Comments(0)テレビっ子
 
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