「おめでとう!」 夏の甲子園優勝シーン 79~84年

2010年08月19日



 興南高校、準決勝進出。いよいよ、夏の甲子園優勝、そして春夏連覇が濃くなってきた。ベスト4進出は42年ぶりである。
42年前、興南高校の国際通りパレードを5歳の私は母に連れられて見に行った。そのとき、私はおたふくかぜで保育園を休んでいた、のにである。

 さて、我らの友、YOU TUBEで1979年から84年まで(第61回大会から66回大会)の夏の甲子園、決勝戦優勝シーンだけを集めたものを見つけた。懐かしい、懐かしい。私が高校、大学時代のもので、当時は高校野球というとテレビにかじりついて見ていた。

 79年は、和歌山の箕島高校。この大会、石川の星稜高校と延長18回試合というのをやっている。箕島は、当時としては3校目の春夏連覇達成である。

 80年の優勝は愛甲投手のいた神奈川の横浜高校。決勝戦の相手は、1年生投手荒木大輔を擁する早稲田実業だった。
横浜は18年後、「怪物」松坂大輔で春夏連覇を達成する。松坂は80年生まれで、彼の名前は当時の甲子園のアイドルだった荒木大輔にちなんだそうである。この年の横浜高校のキャッチャーが2年生の片平くん(多分)という子で、私は彼に手紙を書いたのではなかったか。

 81年は、兵庫の報徳学園。今年も強そうですね。投手は金村。相手が京都の京都商業で、負けた瞬間、アナウンサーが「京都商業の夏が終わりました」。

 82年が蔦監督が率いた徳島の池田高校。勝った瞬間、アナウンサーが「蔦監督、59歳の青春」と叫んでいた。

 83年は、PLが2度目の優勝。PLのエースはは1年生の桑田真澄。桑田、清原のKKコンビ時代の始まりである。優勝のときは、桑田はレフトを守っていた。準優勝は「Y校」と呼ばれる神奈川の横浜商業。Y校はこの年、春も準優勝で、アナウンサーは「春、夏決勝戦に泣きました」と言っていた。


 84年は茨城の取手二高。北関東の学校である。準優勝は、2連覇を目指していたPL学園。

 この年代の優勝シーンは、ほとんどピッチャーが三振で決めている。79年以前の優勝シーンもあったが、それでは3年連続サヨナラ勝ちだった。優勝シーンにも「流れ」があるのだろうか。

 試合はもとより、時代をというか、いかにも高校野球を感じさせるのが、アナウンサーの言葉である。初めてこの画像を見て、声を聞いたとき、鈴木文弥かなと思ったが、別のアナウンサーだろう。格調高く抒情的なしゃべりである。
 
 優勝が決まった瞬間に「おめでとう!」。「やったー」、「青春の夏、甲子園の夏、栄冠は報徳学園(優勝チーム)に輝きました」。「行く夏に別れを告げ・・・」「青春のドラマが終幕に近づいている」など、聴かせてくれるのだ。

 池田高校のところでも書いたが、「蔦監督、59歳の青春」はいい。さて、今年の決勝戦、試合もさることながら、アナウンサーがどんな言葉で視聴者を感動させてくれるか。

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Posted by ダイアン・M at 12:40│Comments(0)トピックス
 
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