若松孝二監督、「戦争は女性や子どもが犠牲になる」
2012年11月03日
私は現在、「恋してフランス」というタイトルのブログに、フランスのサイトの翻訳記事を乗せている。抜粋意訳の記事だが、次回は、先月、交通事故で亡くなった若松孝二監督の記事を準備している。若松監督は、フランスも製作側である「愛のコリーダ」の製作者として、また今年のカンヌ映画祭「ある視点部門」に招待された「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の監督としても、海外で非常に高い評価を受けている。若松監督の交通事故死は、フランスでも大きく報道されていた。
今日、NHKの「ようこそ先輩 課外授業」という番組で、若松監督が宮城県の出身校を訪れたときのことを再放送していた。児童らは小学校6年生だろうか、昨年の震災のときのことを、それぞれ作文に書きそれを発表していた。小学校で、ああいう言葉に表せない体験をした彼らはどんな大人になっていくのだろうか。しっかりした文章で、時折涙ぐみながら作文を読む彼らを見て思った。
若松監督は、孫のような小学生たちと同じ目線で会話をしていた。児童らに、「家族に震災のときの様子をビデオに収めて」と宿題を投げかける。子どもたちは、お母さん、お父さんに「そのときどこにいましたか?」「どんな気持ちでしたか?」と淡々と聞く。感情をいれずに質問をする(おそらく若松監督の指導か?)ということは、実は、それがうまく相手の感情を引き出していくのだなとテレビを見て思った。
若松監督は、ご承知のとおり若いときはソフトポルノを撮っていた。近年は、連合赤軍、戦争をテーマにした秀作を世に送り出していた。
若い後輩らと同じように、若松監督も小学校時代に、第二次大戦という悲惨な経験をしている。彼は焼け野が原になった
昭和20年の仙台市の写真を小学生に見せていた。「震災は天災。戦争は人災。いつも、女性や子どもが犠牲になるんです」と説明していた。先月、沖縄で相次いで起こった米兵の不祥事。女性暴行、少年殴打。女性と子どもが被害になった。オスプレイも毎日沖縄県民の頭上を飛んでいる。沖縄は戦場のようだ。若松監督の撮ってみたいテーマの一つに「沖縄」があったという。事故にさえあっていなかったら、それは可能になっていただろうと思う。どんな「沖縄」ができただろうか。
今日、NHKの「ようこそ先輩 課外授業」という番組で、若松監督が宮城県の出身校を訪れたときのことを再放送していた。児童らは小学校6年生だろうか、昨年の震災のときのことを、それぞれ作文に書きそれを発表していた。小学校で、ああいう言葉に表せない体験をした彼らはどんな大人になっていくのだろうか。しっかりした文章で、時折涙ぐみながら作文を読む彼らを見て思った。
若松監督は、孫のような小学生たちと同じ目線で会話をしていた。児童らに、「家族に震災のときの様子をビデオに収めて」と宿題を投げかける。子どもたちは、お母さん、お父さんに「そのときどこにいましたか?」「どんな気持ちでしたか?」と淡々と聞く。感情をいれずに質問をする(おそらく若松監督の指導か?)ということは、実は、それがうまく相手の感情を引き出していくのだなとテレビを見て思った。
若松監督は、ご承知のとおり若いときはソフトポルノを撮っていた。近年は、連合赤軍、戦争をテーマにした秀作を世に送り出していた。
若い後輩らと同じように、若松監督も小学校時代に、第二次大戦という悲惨な経験をしている。彼は焼け野が原になった
昭和20年の仙台市の写真を小学生に見せていた。「震災は天災。戦争は人災。いつも、女性や子どもが犠牲になるんです」と説明していた。先月、沖縄で相次いで起こった米兵の不祥事。女性暴行、少年殴打。女性と子どもが被害になった。オスプレイも毎日沖縄県民の頭上を飛んでいる。沖縄は戦場のようだ。若松監督の撮ってみたいテーマの一つに「沖縄」があったという。事故にさえあっていなかったら、それは可能になっていただろうと思う。どんな「沖縄」ができただろうか。
Posted by ダイアン・M at 23:11│Comments(0)
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