富士日記
2013年10月21日

大好きな作家のひとりである武田百合子の「富士日記」を紹介する。何度も読んだ日記だ。
夫である作家の泰淳との山荘(山梨の富士山が見えるところ)での日々を記した作品。その日食べたものや、買ったもの、起こったニュースなども記されており、昭和がまだ元気だったころの「生活誌」としても面白い。
日記(上)は昭和39年から41年までの記録。百合子らは普段は東京の赤坂で暮らし、週末や夏、年始年末を山荘で過ごす。山への行く道筋に、高速道路など大きな道ができてそこを百合子が車を運転していくのだが、そういう描写に39年の五輪で、日本のインフラが整ってきた、高度成長という言葉が頭の中でちらちらしていた。
日記(中)。昭和43年の夏には、高校野球で興南のことが出てくる。42ねは妹の生まれた年で日記を読みながら、幼い私、若い父母を思い浮かべる。私も4~5歳ごろ。私ってジコチューというか、家族にとらわれているというか、記された日付を見て、どうしても自分の身辺と結びつけてしまう。この作品を読め、ちゃんと読め(と心の中で自分に呼びかける)。
日記(下)。昭和45年10月19日、「淡いクリーム色の空に銀ねず色の刷毛ではいたような雲。その下に紫がかったバラの色の雲。その下に淡いピンクの雲。それが陽が落ちてゆくにつれ、紫がかった雲は全くのバラ色に、ピンクの雲は淡い朱色に、銀ねずの雲は薄墨色に、移り変わってゆく~」、こんな色のグラディエーションの描写にユーミンの「挽夏」の歌詞を思い出した。またユーミンの「夜間飛行」をイメージするところもあった。
また、いつか読み返すと思う。
Posted by ダイアン・M at 11:48│Comments(0)
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